20100926

できること、できないこと

僕がOTを目指したのは18歳の時・・・

OTになったのは22歳のとき・・・

この仕事に就いて良かったと最初に思えたのは
24歳のとき・・・

OTとは何か?と本気で悩みはじめたのは28歳のとき・・・

常に悩みながらも少しずつ前に進んでいると
感じれるようになったのは30歳のとき・・・




志を立てたあの日と、今日の僕は、全く違う僕だ。

本当にOTを志して良かったと心から思える・・・





僕は僕の自由の中でこの仕事を選んだ。

でも自由とは決して白紙の状態ではなかった。





様々な経験や感情の蓄積、生活者として生産的作業をして
生きていかなければならない逃げられない現実。
様々な要素が僕の自由選択の道標となっていた。

僕にはOTに興味を抱く情報が手元にあった。
僕にはOTになる方法が情報として存在していた。
そのために何をしなければならないかも知っていた。
それを実践する環境が与えられていた。

臨床実習は、二度とやりたくない程大変だった。
初出勤の日は逃げ出したいほどの緊張で胃が痛かった。
初めて学会発表する日の朝は、タバコを吸いすぎて
吐きそうだった。

でもOTになって本当に良かった。
生まれ変わってもまたOTになりたいと心から思う。

僕のアイデンティティを構成するOTという作業。
最初はわずかな興味と決意だけだった。

不安のほうがずっと強かった。

揺ぎ無い意志を構成する遂行能力も習慣も
僕には無かったから・・・・

OTのキャリアの中で、意志を揺るがすような
出来事が一つあっただけで、僕は今OTじゃなかったかもしれない・・・

もしも親が職を転々とする人だったら、それを見て育った僕は、
僅かな迷いで、OTをリタイアしていたかもしれない。

もしも高校の時、医療系に進む友達が一人もいなかったら
僕は他の道を選んだのかもしれない。

今の僕は、星の数ほどの偶有性の結果なんだ・・・

今も悩み続けているけれど・・・
あの日OTを志した自分を構成してくれた
私の周りの人々、時代、環境に心から感謝したい。





クライアントも、最初から強力な意志に支えられた
作業遂行など難しいのかもしれない・・・・

手段を変えて、過去の価値ある作業に復帰するのならば
意志の再獲得も現実的な蓄積が可能かもしれないが・・・

全く新しい作業遂行文脈に飛び込もうとするのならば、
それはクライアントにとってもOTにとっても茨の道かもしれない・・・

でも作業をすることは必ず感情を生み出し、経験という価値を蓄積する。
興味と作業経験と僅かな決意で飛び込むしかない時もある・・・

自己決定の因子は内的なものだけでは決してない。
決定につながる内的な因子の蓄積と、偶有性に満ちた環境との統合で
自己決定は初めて成される・・・

できるだけ準備をして遇有性の海に飛び込んでほしいと思う反面・・・
遇有性の海の中、作業をすることで、より健康な状態へと進もうとする
人間の強さを信じたい・・・

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