20120731

だからもう一度…作業に焦点を当てた実践 研修会 in 神戸


かつて作業療法士は「プレイレディ」と呼ばれた時代があった.

作業療法士は,自分たちの専門性の中核を成す作業について,
それを専門職として扱う重要性を証明することができないがゆえに,
「プレイレディ」と揶揄された.

その結果,作業療法士達が次にとった行動は,
作業の一部を放棄することだった.

特に遊びや極めて個別的な意味を持つ作業を放棄する代わりに,
全ての人間に共通するADLや機能の中にアイデンティティを見出そうとした.

それは結局,
作業療法士の専門性をより曖昧で不明確にすることになり,
それまで以上に作業療法士を苦しめた.

Mary Reillyはかつてインタビューの中で作業療法士の信念の欠如を指摘している…

「どんな財政変化があろうと,他のグループの策略にあおうと,社会的に無視されようと,作業療法はなくなりはしない.われわれ自身が自分たちがしている仕事の重要さに気づかないことが問題だ.自分たちが患者に行なっていることを理解していないことがわれわれの職種が消えていく原因になるだろう」


みんなで考えたい.
みんなで作業療法を大切にしたい.
みんなで作業療法士が作業療法士として
クライエントの幸せのためにできることを考えたい.


だからもう一度…




12月9日(日)兵庫医療大学
作業に焦点を当てた実践とは 
トップダウンアプローチ

1) トップダウンとは
友利幸之介(神奈川県立保健福祉大学)
2) ADOCを用いたトップダウンの実践
齋藤佑樹(太田熱海病院)
3) トップダウンに基づく上肢機能訓練
竹林   崇(兵庫医科大学病院) 
4) 地域こそトップダウン!
原田伸吾(YMCA米子医療福祉専門学校)


少しだけ僕の担当部分の内容を紹介すると,

今回は僕の実際の面接場面を見てもらう予定です.作業療法の説明から実際の面接場面,
目標設定までの一連のプロセスを動画で見てもらいます.

そして「何を考えて」「何を気をつけて」「どのように」作業に焦点を当てた実践を
しているのか?それをお話しようと思います.

興味がある方は,ぜひ御参加ください.







20120721

ボトムアップアプローチの順序を反対にすればトップダウンアプローチになるわけではない…



 
 観察評価が苦手とか,観察評価を重視する理由がよくわからないという声をよく聞きます.確かに「動作分析」とは異なる「作業遂行の観察評価」についての重要性は認知度が低いかもしれません.しかしトップダウンアプローチを実践する上で,観察評価はとても重要です.なぜなら作業療法士は「作業の可能化」を支援する専門職だからです.

 すなわち観察評価は,「どうすれば作業が可能になるか」を考える上で大変重要な評価なのです.健常な状態との違いが最大の関心事であるならば,機能障害を明らかにする検査や動作分析の重要度が高くなります.しかし作業遂行機能障害の原因が関心事であるならば,検査や動作分析だけではその原因を明らかにすることはできません.

 なぜなら,作業遂行は人ー環境ー作業の連関によって成立しているからです.その作業を行う環境で,その作業を行う人が,その作業を行うことで,はじめて作業遂行を阻害している因子が見えてくるのです.

 多くの作業療法士は,クライエントの作業を観察する際,現象を機能障害に結びつける「自己解釈」を介在させてしまうという専門職特有の問題を持っています.頭の中で現象を解釈に置き換えることを極力せずに,人ー環境ー作業を「見たまま」で評価することで,作業の可能化を支援するための介入は非常に柔軟性を帯びてきます.5日間のAMPS講習会でも,最初にトレーニングすることは,特別な技能を身につけるのではなく,自己解釈で凝り固まった頭をリセットして「見たまま」を評価するトレーニングをするのです.それだけ作業療法士にとって観察評価は大切なのです.

 トップダウンアプローチとボトムアップアプローチは,プロセスの順序の違いを指している言葉ではありません.作業療法士が,「自分が何を支援する専門職なのか?」その関心の違いを表す言葉です.

 クライエントが作業的存在としての健康を取り戻すことを作業療法の目的と考えるのならば,まず初めにするべきことは,クライエントにとって作業的存在としての健康とは?の問を明らかにすることです.その手段は当然面接が中心になるでしょう.クライエントの健康を構成していた作業を明らかにしたならば,次に立ち現れる関心事は,その大切な作業遂行を阻害している因子は何か?となるはずです.その関心は実際に作業を行なってもらい,観察することでのみ明らかになるでしょう.その阻害因子は,人ー環境ー作業のどれか,もしくは全ての要素から見つかるはずです.

 観察上の問題を抽出することができたならば,次に行うことは当然介入方法の検討です.あくまでも作業的存在としての健康を取り戻すことが最大の関心事ですから,その介入内容を決定するためには,色々な要素を加味することになります.どんなに効率的な方法であっても,クライエントの価値観の中で受け入れられない方法であれば,その手段を採用した作業遂行は,クライエントを「健康」へとは導かないかもしれません.反対に,環境を少し工夫するだけで,そのクライエントは大切な役割を再獲得できるかもしれません.もちろん機能訓練が一番の近道なことも多々あるはずです.

 すなわち,「作業の可能化」とは,単にその作業が効率的にできるということではなくて,クライエントの生活する文脈の中で,その作業を通して担っている役割を取り戻し,課題を解決し,大切な環境と結びつき,文脈における自分の性質を納得の範囲内で維持することを意味しているのです.

 このように,クライエントの作業的存在としての健康を支援しようとするならば,その介入のプロセスは自然とトップダウンアプローチになってきます.反対に,「機能回復させて,ADL能力をできるだけ改善させて,できれば趣味も獲得させよう」などと還元主義的で父権的な思考で作業療法を捉えれば,そのプロセスは自然とボトムアップになるでしょう(決して機能訓練などを否定しているわけではありません.目的と手段の扱い方についての言及です).

 昔,他部門の科長に「ボトムアップアプローチの方が,機能をしっかりと診れるんだ!.トップダウンじゃ機能が診れない!」と言われたことがあります.僕はそんな話をしているんじゃないんです.どっちが機能を診れるかなんて誰も言ってないでしょ?自分が何をする専門家なのか?その答えによって効果的なプロセスは自然と決まるんです.トップダウンとボトムアップ,どちらが優れているかなんて議論は全くもって無意味ですよね.


もうやめませんか?こんな争い…











20120705

「別の質」を解き放つために〜作業療法臨床実践研究会報告〜




僕がこの舞台に立つ意味はなんだろう…
ずっと考えていた.

特別な技術を持っているわけでもなく,
特別な経歴を持っているわけでもない.

僕に伝えられる,僕だから伝えられることはなんだろう…
すぐには答えが出なかった.

決して変えられないと思ったあの日と変えられるんだという体験を伴う実感.
その両方を知っていること…
それしかないと思った.



作業療法の実践家たちは昔から,作業は人間の営みそのものであり,
健康を育むものだという素朴な信念を公理に見立てて,障害者や弱者への
介入を行なってきた.しかし専門職という名の職業的生命を保つためには
それが医療の一部だと宣言する必要があった.だが医療の一隅に身を置いてみると
作業療法が,医療を率いる医学とは別の質を帯びていることに気づかないわけには
いかなかった.(鎌倉矩子:作業療法の世界より抜粋)



おそらく,あの日参加していた多くの作業療法士たちは,
この「別の質」とその他の医療との緊張を解くことができずに
苦しんでいるのではないかと思った.
実際に僕自身がそうだったから…

だから僕の道程を話そうと思った.
僕が「別の質」に胸を張ってクライエントに向き合うためにしてきたことを
話そうと思った.明日から実践できる極めて具体的な手段を話そうと思った.

他人の言葉ではなく,自らの苦悩や気づきによって「別の質」に気づいたことは,
確実に入り口に立ったことを意味していると思う.

でもそのドアは思ったよりも重い.

ドアを見つけたこと自体に興奮して,しばらくは過ごせるかもしれない.
でもそのドアは開けるためにあって,ドアの向こうにクライエントの利益が
存在しているという事実に気づかない人はいない.

「別の質」はあまりにもその他の世界からは異質で理解し難い性質を帯びていて.
「信念」と「異質であるという現実」の狭間で多くの作業療法士は苦しんでいる.
僕自身が,そして僕の後輩達が悩んだことの筆頭を3つだけ話した.




面接について,臨床家としての自信について,他職種理解についての3つ.
たった1つでも参加してくれた皆さんの臨床を変えるきっかけになったのならば
こんなに嬉しいことはないと思う.

僕は演者の1人だったけれど,友利さん,上江洲さん,澤田さん,竹林さんのプレゼンを
観客の1人として満喫させてもらった.
もっと効果的な人間になりたい.心からそう思える時間だった.

実践の質を高めるために,もっとみんなと繋がりたい.研鑽し合いたい.
それが作業療法士が作業療法を楽しむ最も効果的な手段だと思う.



私は,大理論としての(つまり設計図としての)作業療法モデル論はもう出尽くした
のではないかと思う.それは歴史的に必要なものではあったが,流れはもはや定まった
とみえる.作業療法にとっての次に課題は実践理論もしくは実践技術の充実だ,
というのが私自身の考えである.(鎌倉矩子:作業療法の世界より一部抜粋)