20120926

「肯定」と「否定」の理由






ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)は,
2001年に世界保健機構(WHO)によって採択された国際生活機能分類です.

これまでのWHO国際障害分類(ICIDH)が,マイナス面を分類するという
考え方が中心であったのに対し,ICFは,生活機能というプラス面から
みるように視点を転換し,さらに環境因子等の観点が加えられました.

僕の学生時代はまだICIDHの時代でした.就職した当時(2000年),
ICFの前身であるICIDH-2を必死に読み込んだことを思いだします.

日々臨床に従事するなかで,ICFに触れる機会は沢山あります.
一番に思い浮かぶのは計画書でしょうか.みなさんが毎月作成している
リハビリテーション総合実施計画書もICFをベースに構成されています.

また,学生指導の場面などでもICFに触れる機会は多いでしょう.
ICFは作業療法の世界から生まれた分類ではないため,
「使いにくい」という意見を聞くこともあります.

しかしながら,ICFは世界的な一大プロジェクトです.
多くの職種との共通言語でもあるICFは,使いやすいか否かだけで
その価値を判断すべきではないと思っています.

しかしながら,実際にICFに悩むことは多いようです.
特に学生さんはICFをまとめることに悩む傾向があるように感じます.
勿論レポートを作成することが実習の目的ではありません.
しかし自分のしていることを,共通言語の中で表現できるかどうかは
とても大切なことだと思います.

学生さん達の過去のレポートを拝見すると,担当しているクライエントの,
健常時と比較して障害されている部分を「否定的側面」,
残存している部分を「肯定的側面」として,
心身機能・構造,活動,参加の各項目に振り分け,
環境因子については,マンパワーの有無や物理的な制限の有無などから
「促進因子」と「阻害因子」の振り分けを行なっているようです.
また性格的な情報や生活歴などの情報を個人因子に振り分けています.

勿論これは,厳密には間違いではないかもしれません.
しかしながら,完成したICFの表から見えてくるものがないとのことでした.
その分類された項目のどれもが,全てレポートのどこかに書いてある内容の
集合にしかなっておらず,学生さんの,
「今まで何のためにICFをまとめるのかが全然わからなかった」
という言葉をよく聞きます.

ウチの実習では,主目標を達成するにあたって肯定的側面や促進因子になるのか,
否定的側面や阻害因子になるのかに注目しながらICFをまとめてもらっています.

これは当然主目標の立案の仕方が大切な要素になってきます.
「歩行ADL自立レベルで自宅退院」などという目標は主目標ではありません.
これは単なる退院先と退院時能力を列挙しただけです.

主目標は,どのような作業の可能化を通して,どのような役割を取り戻し,
どこで,だれと生活するのかが内包されていなくてはいけません.
このような要素を内包した主目標をクライエントと一緒に共有することができれば,
あとはその目標を「どう」実現するかが焦点になります.

立案した目標に対して「肯定的側面」と「否定的側面」を考えると,
ICFの表はとても有益な情報の集合になっていきます.
また,個人因子にクライエントと共有した文脈や価値観などが入ることで,
肯定的側面と否定的側面の判断はより妥当性を帯びてきます.

嚥下機能が保たれているから「肯定的側面」なのではありません.
長年交流を続けている友人とお茶飲みをすることがクライエントにとって大切だから,
嚥下機能の残存は「肯定的側面」として有益な情報になるのです.

座位が二時間保持できるから「肯定的側面」なのではありません.
どうしても一日中座位で仕事をしなければならないクライエントにとっては
「否定的側面」かもしれないのです.

クライエントと一緒に立案した目標の達成に向けてICFの分類を行うと,
介入モデルの選択も,より俯瞰的に行うことができると思います.

妥当性の高い分類を行い,ICFを有益な情報の集合にするためにも,
「クライエントの文脈や価値観を共有すること」
「目標設定にクライエントや家族を巻き込むこと」
「できるだけ実動作に基づいた観察評価を行うこと」
これらの要素が大切だと思っています.

また,これらの要素に加えて,必要な医学的な情報もしっかりと網羅することで,
症状固定のしていない場合が多い医療現場での介入モデル選択は更に俯瞰性を増し,
その妥当性を高めることが可能であると思います.

ICF は,単に ICIDH に「利点」を加えたものではないのです.






20120921

暗黙知






自宅に帰ったら家族のために料理がしたいと希望するクライエント.
希望を表明してくれたものの,彼女はとにかく控えめな性格で遠慮がちであった.
調理訓練の準備が大掛かりな印象を与えてしまうと,彼女はきっと遠慮してしまう.
そう考えた私は,時間のかかる準備を全て事前に済ませることにした.
訓練中は常にさりげない態度で彼女を支援することを心がけた…


認知症のクライエントと一緒に手芸を行なっていた.彼女は自尊心が強く,
他者に対して自分が「できない」ということをさらけ出せない人だった.
その性格ゆえに,彼女はあらゆる作業への誘いを断り,作業剥奪状態に陥っていた.
このクライエントと一緒に手芸を行う時は,会話で注意をそらしながら,彼女自身も
気づかないように,彼女の作品を修正した.決して彼女の技能を褒めるような声かけは
行わず,作業することの楽しさにだけ会話を焦点化することに終始配慮した…


機能の回復や各種技能の習得がめざましいクライエントと一緒に作業療法室に向かった.
椅子に座ってもらおうとしたが,テーブルの向かい側には,別のクライエントがいた.
そのクライエントは最近自分の欠点にばかり目が向いているため,小さなEnableを
積み重ねて自信を取り戻せるように,担当OTが緻密な対応をしていることを聞いていた.
そこで私は,自分のクライエントを別のテーブルに案内することにした…


クライエントが自分の作った革細工を見せながら冗談を言っていた.
「これは1万円で売れるね!」
それを聞いた作業療法士は,「いや◯◯さん.1万じゃ安いですよ〜」と返す.
次の日,病棟でそのクライエントが同じ会話をしているのを見かけた.
その話を聞いた他の職種のスタッフは,「1万は高すぎるでしょ」との返答…






作業療法士は,「暗黙知」の多い職種だといわれています.
言語化しない,沢山の配慮や調整を実践の中で行なっているという意味です.

それは,単に技能の向上やFIMのスコアにばかり関心を持つのではなく.
クライエントの心の動きをいつも配慮し,クライエントが自ら動機付けられ,
自らの人生を肯定的に解釈し,作業参加を通した心身の健康を取り戻せることに
常に関心を持っているからだと思います.

このような部分に対する作業療法士の「感度」は,相当に研ぎ澄まされていると
僕はいつも思っています.

しかしその感度の鋭さゆえに,他職種のクライエントに対する関わり方に
嫌悪感を抱く原因になったりすることもあります.
恥ずかしながらこれは,僕自身の経験でもあるのです.

自分の過去を振り返って思うことは,嫌悪感を抱く暇があったら,
自分がクライエントのために感度を鋭くしている,
でも普段言語化しない「暗黙知」を開示してチームで共有するほうが
ずっと得策だということです.
それは結果として,クライエントの大きな利益になるのです.





作業療法にはいろいろな側面がある.クライエントのニーズをどう評定するか,どんな介入のしかたがよいか,という問題はある意味で議論がしやすく,研究テーマとしても取り上げやすいものである.しかしセラピストがどうふるまうのがよいか,という問題はなかなかテーマになりにくい.自分もしくは自分たちを対象化することの難しさがそこには横たわっている.しかし専門技術の支柱のひとつは明らかに,セラピストはクライエントに対してどのようなときどのように振る舞うべきか,という問題に関わっている.言い換えれば,セラピストは臨床現場で,その時その時相手と文脈に即して,自分の言葉と動作と表情をどのように組み立てるべきか,という問題である.この技術は重症心身障害児や痴呆性老人など,「よりよい作業体験の共有」が主要目標になることが多い分野においてとくに重要なものだと考えられる.しかしこの種の技術は文献に残されることがなく,そのセラピスト一代限りのものとなりがちである.そのため,技術としての伝承が起こりにくく,現場に入ったばかりの学生や初心者やセラピストを大いに戸惑わせることになっている. 〜中略〜 これまで直感的に行われてきたわざを言語化することの中にも,作業療法の臨床技術を進化させる可能性が潜んでいると私は思う.(鎌倉矩子)






 


20120920

理論が苦手な方に…カナダモデル編


「理論」という言葉を聞いただけで,頭を抱えるセラピストも少なくないと思います.
必ずしも理論が必要だとは思いませんが,理論を知り,かつ上品な使い方をすれば(笑)
理論は実践を効果的にしてくれる強い武器になります.
今日は代表的な作業療法理論のひとつであるカナダモデルを簡単に紹介します.




作業療法における主要広範囲理論のひとつであるカナダモデルは,
Canadian Model of Occupational Performance & Engagementの略です.
日本語では,「作業遂行と結びつきのカナダモデル」と呼ばれています.




カナダモデルでは,「人」を正三角形で表現しています.
なぜ正三角形かというと,それは「多様性と安定」を表現しているからです.
正三角形よりも角の少ない多角形は存在しませんよね.
最も角の数が少なく,かつ全ての辺の長さが等しい正三角形は,
「多様性と安定」を両立する象徴的な図形なのです.




カナダモデルは正三角形の3つの角に,認知・身体.情緒を設定しています.
これは,人をどのような側面から捉えるかを表しています.




「多様性と安定」を両立する形として,正三角形で人を表現しているわけですが,
人は,ひとりとして同じ人はいません.自分自身も,目の前のクライエントも,
全ての人は,たった1人の唯一無二の存在なのです.それを表現するために,
カナダモデルでは,正三角形の中心に「スピリチュアリティ」を設定しています.
過去に「スピリチュアリティとは何か?」という議論が白熱したことがありました.
しかし現在ではスピリチュアリティの定義自体は主要な関心ごとではないようです.




次は「作業」について確認していきます.
カナダモデルでは「作業」を円で表現しています.
作業の分類は,「セルフケア,生産活動,レジャー」の3つです.
分類については,他のモデルや多くの理論家が,複数の分類を提唱しています.
カナダモデルの分類は,非常にシンプルです.




次に「環境」について見ていきます.
カナダモデルでは,環境を「物理的,制度的,文化的,社会的」と4つの側面に
分類しています.「作業」の分類同様に,とてもシンプルです.




もう一度おさらいします.カナダモデルでは,
「人」を「認知・身体・情緒」
「作業」を「セルフケア・生産活動・レジャー」
「環境」を「物理的・制度的・文化的・社会的」
このような側面で捉えようとしています.
この「人・作業・環境」をカナダモデルでは重ねています.




このように重ねてみました.この図から何を読み取りますか?
「人」が「作業」を介して「環境」に結びついていることがわかります.
1997年に発表されたカナダモデルはここまででした.
当時は,Canadian Model of Occupational Performance : CMOPと呼ばれました.

CMOPの発表から10年後の2007年,CMOPは改定されました.それが冒頭で表記した,
Canadian Model of Occupational Performance & Engagement : CMOP-Eです.
上記の図に,新たに図がひとつ追加されたのです.




CMOPの図の右側に,新たに図が追加されているのがわかります.
この図は,左の図を真横から見ている図です.なぜ横を向けたのか?
人・作業・環境の重なり方を見てください.

環境に作業がめり込んでいます.そして作業に人がめり込んでいます.
環境自体にも人がめり込んでいますが,それはほんの僅かです.

つまり,人は作業を通して環境と強く結びつくことができるのです.
言い方を変えれば,作業を通して環境と強く結びつくことを
真の「作業の可能化」と呼ぶのだと定義しているのです.

想像してみてください.
みなさんには,大切な家族がいるでしょう.
一緒に食事をしたり,子供とお風呂に入ったり,一緒に外出したり…
家族と色々な作業を共にしているはずです.

みなさんには,大切な職場の仲間がいるでしょう.
クライエントの話を議論したり,発表の準備をしたり,昼休みに談笑したり…
仲間と色々な作業を共にしているはずです.

自分の大切な環境を想像してみると,
そこには必ず必要な作業が存在しています.
また,その作業をその環境で遂行できることで,
私たちは特定の役割を担うことができています.

だから作業ができるということは,
単に作業に必要な動作ができるということではなく,
大切な環境に結びつくために必要な役割を遂行できるということなのです.

カナダモデルは,シンプルながらもその事実をとても力強く表現しています.




もう一度CMOP-Eの図を確認してみます.
実はこの図は,作業療法の対象領域も表現しているのです.
わかりやすいように上下の部分を暗くマーキングしてみました.
右の図を見てください.作業の幅だけを残して上下を暗くしています.

つまり,人・作業・環境が結び付くことを支援することが作業療法士の仕事であり,
それを実現するためには,人への介入(機能訓練など)も,環境に介入することも
作業療法の対象領域であると言っているのです.

反対に暗い部分,つまり人・作業・環境の結びつきに関係のない人への介入や
環境への介入は,作業療法の対象ではないと言っています.

長くなってしまい申し訳ありません.
勉強されている方にとっては当たり前の内容ばかりだと思います.
でもCMOP-Eは,極めてシンプルでありながら,作業療法の本質を力強く表した
素晴らしいモデルであり,日本型の作業療法の概念をも包括できる,
日本の作業療法士にとってとても親和性の高いモデルであると僕は思っています.

僕は特定の理論に対して,決して「信者」にはなりません.
良いものはどんなものでも使いたいし,どんな物でも排他的に扱いたくないからです.
あくまでも,僕の好きなものの「ひとつ」として今日は紹介しました.

おわり
















20120907

トロトロ


担当のSTには「どこまで嚥下が回復するか」とは聞かなかった.
「カツ丼がどうしても食べたいから何とかして」と頼んだ.


彼が療養病棟に移って約半年.
ムセが増えてきて心配だからと2ヶ月前から点滴だった.


ある日突然「カツ丼が食べたい」と彼が言った.
今年で90歳.生まれてから一度も食べたことがないという.
節約しながらの生活.贅沢は敵.外食なんて数えるほどしかなかった.


カツ丼が憧れだった.テレビで見たことしかなかった.
点滴になってから彼は食べ物のことばかりが頭をよぎって,
ある日彼はティッシュを食べていた.


挨拶をしても,今日の具合を聞いても,天気の話をしても,
まず返答は「カツ丼が食べたい」だった.


ずいぶん前にSTは終了になっていたんだけど,
もう一度嚥下の評価を依頼した.


「一緒にカツ丼を作って食べましょう,だから飲み込みの練習を頑張ってください」


彼は1ヶ月頑張った.
STはこれが精一杯と言った.


もちろん常食を食べることはできない.
でもキザミ食は食べることは可能になった.


OT : 「そろそろカツ丼いいかな」
ST : 「肉無しなら大丈夫です」
OT : 「それはカツ丼じゃないじゃん(笑)何とかならないかな」
ST : 「ひき肉なら大丈夫です.材料は全てトロトロに煮込んでください」
OT : 「じゃあメンチカツで作ろう」
ST : 「とにかく柔らかく煮込んでください」
OT : 「当日は一緒にいてね(笑)」


来週いよいよ一緒に調理.
今夜は試しに「メンチカツ丼」を作ってみた.
感想は…僕が言う必要ないか…




0を1にする方法よりも,
5を6にする方法よりも,
希望を叶える方法をみんなで考えよう.

それが0を1にすることならば,
それが5を6にすることならば,
みんなで取り組もう.

0を1にすることじゃなく,
5を6にすることじゃなく,
希望を叶えることを目標にできたら,

0を1にできなくても,
5を6にできなくても,
他にも方法がありそうだ…