20110131

~意味のある作業の実現~



今日、第45回日本作業療法学会の演題採択結果が届きました。
ADOCを失語症のクライエントに使用した事例報告をしますので、
宜しければ皆さん聞いてください。


今までどうしてもセラピスト中心の介入になりがちだった、
意思疎通が困難な事例に対しても、ADOCを使用することで、
意味ある作業の共有や、協業ができるかもしれない。
そんな希望や可能性を感じられる発表ができればと考えております。


ウチからもう1人、kibiさんが発表します。
kibiさんの発表は、”情報”についてです。
臨床場面では、紋切り型のように”情報共有””連携”という言葉が
飛び交います。現にどの病院や施設でも、より多くの情報を共有するために
力を入れているのではないでしょうか?


でも、情報量って本当に足りてないですか?
もう十分に情報が行き来しているのではないでしょうか?
これから必要なのは、他職種が一つの情報をどう扱うかではないでしょうか?


どんなに沢山の情報を発信し合っても、情報を発信する側と、キャッチする側の
情報の扱い方、情報の価値が異なれば、その情報はクライエントの為に上手く
機能しないのではないでしょうか?


そんなクエスチョンに対する当院の取り組みを発表します。


しかも・・・・・なんと「テーマ演題」です.


今回の学会は、ポスター演題が800題、テーマ演題が5題.


kibiさんすごい・・・・今日報告を受けたときは正直興奮しました。


みなさんよろしくお願いいたします。





20110129

何をアフォードしている・・・


今夜は野菜を沢山使った特製ビビンバとスープを作りました。料理は僕にとってとても大切な作業です。妻は8時まで仕事なので、妻が休みの日以外は、僕が夕食担当です。明日は日曜日!子供と一緒にバナナホットケーキを作る約束をしています。

僕は毎日6時半頃に病院を出ます。それから保育園に娘を迎えに行って、二人で夕食の買い物に行きます。それから帰宅し、子供と遊びながら夕食を作るのです。毎日子供の為に栄養バランスを考えて、しかもなるべく遅くならないように、妻が帰宅したらすぐに食べられるように間に合わせます。

料理という作業を、僕が持つ意味と価値の元に遂行するためには、帰り道に子供と会話したり、車を運転しながら今夜のメニューを考えるスキルが必要です。妻の帰りに合わせて温かい状態で食べ始めることが出来るように、作業をプランニングするスキルも必要です。子供と遊びながら料理をするので、同時に色々な作業を進行させるスキルも必要です。料理は役割であると同時に、僕の大切な趣味なので、限られた時間の中、色々な作業が同時進行する中で、楽しむことができるだけの心身両面のマージンが必要です。僕が料理に対するモチベーションを維持できる背景には、家族が喜んで食べてくれるという環境も大切です。時々1人で過ごす夜に僕は料理をしたことはありません。しようと思ったことすらありません。料理を楽しみながら毎日継続するために、夕食後、残された時間で、他の作業を遂行するスキルも必要になります。料理自体に必要なスキルの他にも、沢山の要素が”僕の”料理という作業を構成しています。

誰もが生活している環境が違います。立場が違います。役割が違います。だから作業が違います。たとえ作業の名前は同じでも、その作業に内包された意味や価値が違うのです。必要なバランスも違うのです。

だからOTの介入内容は非常に個別性の高い内容になってきます。片麻痺の料理練習=片手での調理動作獲得と自助具の選定・練習、火や刃物の安全な使用についての評価と練習・・・ではないのです。

何をするべきなのか?それはクライエントが知っています。クライエントしか知らないのです。いや、もしかしたら、クライエント自身もしっかりと思い出すことは簡単ではないかもしれません。

僕は親の前では息子になります。妻の前では夫になります。子供の前では父になります。クライエントの前ではOTになります。人間は自分の文脈において自分自身を常に変化させる動物です。

クライエントも、OTという存在を認識して自己を変化させています。OTがクライエントにとってどんな存在として認識されているのかどうかが重要になります。

「手を治してくれる先生」 「身体を揉んでくれる先生」 「物を作る部屋にいる先生」・・・色々な認知の元にOTを見ていることが多いのかもしれません。作業療法士である自分は何をする人なのか?これをクライエントにしっかりと示す必要があります。理解してもらえないのではないか?上手く説明できない・・・など色々と躊躇してしまう要素があると思いますが、自分は作業の専門家であるということ。意味ある作業が人を健康にすることを勇気を持ってしっかりと説明してみることからはじめてみてはどうでしょうか?



その先は・・・クライエントに聞いてみよう











LIFE IN A DAY



今日は、グーグルの世界的イベント、LIFE IN A DAY の配信がyou tubeにて行われました。これは、2010年7月24日の世界中の”日常のひとコマ”の動画を集めて映画を製作するというイベントです。僕も、クライエントや職場の仲間と一緒に動画を製作して参加しました。

結果は・・・採用されず^_^; でしたが、とても楽しい体験でした。クライエントと一緒に、ペーパークラフトで、農作業の風景を製作し、見えない細い糸を使って動かすのです。牛舎や軽トラの置かれた畑を、耕運機で農夫が耕すその動画は、とてもほのぼのしていて、そして何よりも、クライエントと僕達が一体感を感じられる時間でした。

独居生活が長いクライエントのWさん。人間関係に疲れて、郵便局を早期退職し、退職金をやりくりしながら生活してきました。映画やゲーム、ラジコンなど、多趣味なWさんでしたが、片麻痺発症後は、あらゆる作業に前向きになれず、抑うつ的な日々を過ごしていました。彼とは色々な作業をしました。病院の地下駐車場でラジコンのプロポを片麻痺の状態で操作する相談・練習をして、他の職員に白い目で見られたり・・・独居に必要なスキル獲得に加えて、色々な遊びを中心とする作業をしてきました。どうしても僕は誰かと一緒に取り組む作業を彼と行いたくて、LIFE IN A DAYへの参加を提案しました。かれは最初積極的ではありませんでしたが、取り組む中で、自分から色々な提案をしてくれたりと、少しずつ主体的に作業に取り組んでいく様子がみられてきました。

もう退院して約半年が経ちますが、彼は定期的にメールで近況を伝えてくれます。関東在住の彼は、今は車の運転も再開し、大好きな秋葉原にも出かけているそうです。時々お互いに大好きなグランツーリスモ5のオンライン対戦を行います。僕は勿論GT-Rです。

LIFE IN A DAY への参加は僕からの提案でした。僕が何かを押し付けることは、作業療法の正義ではないのかもしれませんが、僕は人と繋がる素晴らしさや楽しさを感じて欲しかったのです。

ADL向上を目指すクライエントにとっても、認知症で社会適応に苦しむクライエントにとっても、どんなクライエントにとっても、僕はクライエントがイキイキするための効果的な環境因子でいたいです。




20110124

過去を振り返るということは・・・



僕は子供の頃から車が大好きです。11年前に初めて自分で買った車は、小学生の頃からずっと欲しかったGT-Rでした。とにかくスゴイ車でした。殆どチューニングもせずに、簡単に○○○キロの世界に連れて行ってくれます。ドライビングテクニックを磨きたくて、週末はいつも走っていました。

あれから10年も経ちました。勿論今も僕は車が大好きです。でももう車にお金や時間はかけません。家族用のミニバン一台と、趣味を兼ねた古い車を一台持っているだけです。

結婚をしたり、子供が産まれたり、この10年で僕の環境は大きく変化しました。その変化に伴って、僕の車に対する価値も少しずつ変化してきたのです。今も車が大好きですが、我慢しているということは全くないのです。昔の車を少しずつメンテナンスしながら乗り続けたり、レースをテレビで見たりするだけで満足なのです。

もし僕が、結婚や子供に恵まれずに、単に収入が減ったなどの理由で、車に時間やお金をかけられなくなったとしたら、沢山の未練や不満を抱えていたのかもしれません。

クライエントも同じです。作業療法士との協業の中で、多くの意味ある作業を再び取り戻したクライエントでも、いくつかの、あるいは多くの作業を諦めなければならないことは多いはずです。その時に、未練に支配された感情で新しい人生を歩いていくのか?変化した作業形態に新たな価値を見出して前を向けるのか?そこが重要です。僕は家族という大切な存在と、家族の為に行う作業の重要度が、僕を変えてくれたのだと思います。クライエントも、失った作業に未練を持たずに、新しい自分を好きになれるような、アイデンティティを構成する役割や作業を含む新しい作業バランスが必要なのです。

作業の意味・価値や重要度・優先度は,環境等によって容易に変化してしまいます。過去に意味を見出していた作業が、単に遂行可能になったからといって、健康は取り戻せるとは限りません。過去の意味ある作業を共有しながらも、今、そしてこれから、どのような意味で遂行するどんな作業に包まれながら生活していきたいのか?をクライエントと一緒に探していく、作っていく作業が必要です。意味・価値を守るためにあえて作業を変えることだって時には必要かもしれません。


過去を共有するということは、過去を取り戻すためだけではないのです。






20110123

つみきのいえ


今日は娘と一緒に、久しぶりに”つみきのいえ”を観ました。


小さな家に1人で暮らすおじいさん。この家は海に囲まれています。少しずつ海面が上昇してきており、家の中に海水が浸水してくると、おじいさんは、屋根の上に新しい部屋を増築します。増築の度に床の真ん中にマンホールのような蓋を作り、その穴から釣り糸を垂らしては魚を釣り、自分で料理して食べていました。


長い年月をかけて少しずつ上昇する海面・・・何度も、何度も、おじいさんは増築を繰り返してきました・・・もう周りの住人は、皆引っ越してしまい、辺りで暮らしているのはおじいさん1人です・・・


ある日、おじいさんは、部屋の真ん中の穴からパイプを落としてしまいます。そのパイプは、長年愛用してきた大切なパイプです。毎日3回、パイプの煙を楽しんできたのです・・・


おじいさんは、穴から下の階に潜ります。幸いにもパイプは下の階ですぐに見つかりました・・・そこに広がっていた景色は、先に亡くなったおばあさんとの思い出がたくさん詰まった部屋でした・・・


おじいさんは、更に下の階へと潜っていきます・・・娘夫婦や孫達と記念撮影をした部屋・・・娘が初めて彼を連れてきた部屋・・・娘が大人になり、1人暮らしをするために、家を出ていった時の部屋・・・下の階へと潜り進むにつれて、どんどん思い出と共に時間が巻き戻ります・・・その全ての思い出の傍らに、おばあさんの姿がありました・・・


今の自分の住む部屋に戻ったおじいさんは、ワイングラス二つに、赤ワインを注ぎます・・・身体に悪いからと、おばあさんから一日一杯だけと言われたワイン・・・3回だけと言われたパイプ・・・おじいさんはちゃんと約束を守っています・・・


僕のクライエントの殆どは高齢者です。若い人達に比べたら、表面的には静かに毎日を繰り返しているように見えるかもしれません・・・しかし今まで何十年という作業経験が彼らの過去には存在します。その作業経験が、今の自分を構成している作業にかけがえのない意味や価値を付加してくれています。どんなに地味で静かな作業でも、その作業には大切な意味があるかもしれません・・・譲れないプライドがあるかもしれません・・・その人にしか分からない価値が内包しているかもしれないのです。とっても大切な意味がある作業でも、他人から見れば現象的にはたいしたことが無い・・・意味ある作業ってそんなものです・・・だからクライエントも気付くのが難しいのです。


意味ある作業を共有するということは、クライエントが好きだった作業項目を共有するということではありません。作業と、その作業をする目的・意味・価値・理由・ストーリーを共有して、初めて協業の足がかりとなるのです。作業療法士との協業によって、クライエントは自分の作業の大切さを改めて確認できます。おじいさんの様に、作業療法士もクライエントと一緒に、下の階に潜る作業が大切です・・・


おじいさんは、たった一人で”つみきのいえ”に住んでいます・・・それは、大好きな家族との思い出が沢山詰まった家だからです・・・ワインを一日一杯だけ飲むのも、パイプを一日3服だけするのも、大好きなおばあさんとの約束だからです・・・





目の前にいるクライエントの意味ある作業ってなんだろう?









20110122

スニーキープー+α



いくつかの精神疾患は、その昔、”憑依”と考えられていました。結果、その治療は、服薬などではなく、”お払い”になるわけです。苦しみを抱えた人が、お払いによって元気になる。映画やテレビ番組などで、誰もが”お払い”の場面を見たことがあると思います。非常に胡散臭いと思う人も多いでしょうが、その昔、多くの人が実際に”お払い”で救われたという事例は沢山あります。

何を言いたいのかというと、”問題の捉え方”です。医学が進歩した現在、様々な疾患の原因が特定されています。表現を変えれば、原因の内在化が明確になってきた進歩の過程でもあるわけです。反対に、”憑依”、”お払い”の時代、その原因はクライエントの外にありました。問題が外在化されていたわけです。

勿論僕は、精神医学を否定する気持ちなど微塵もありません。僕の到底知りえない高度な医学の進歩から治療方法が選択され、その手段がクライエントに提供されていることを知っています。しかし、問題が自分の中にあると認識するよりも、外にあると認識する方が、クライエントにとって、時として圧倒的に優しいことがあるということです。

人間の精神状態や行動は、それほど”解釈”に左右されると言い換えてもいいのかもしれません。事実は何も変わっていなくても、”解釈”によって、人間は次に取る行動が変化します。否定的状況からは、否定的な感情や解釈が生まれます。肯定的状況からは、前向きな感情や解釈が生まれます。負の循環から肯定的循環への転換を図るためには、解釈を変えることは非常に大きなきっかけとなります。

身体障害に向き合うクライエント。否定的な感情に左右され、自己実現に向けた肯定的循環を作り出せない負の循環に陥っています。様々な面接やコミュニケーションを通して、一時的に肯定的な解釈を作り出すことは可能です。しかし、ナラティブアプローチの弱点は、その解釈が非常に揺るぎやすく、いとも簡単にその解釈が変容しまうということです。

作業療法士は”単なる面接官”ではありません。作業療法士には”作業”があります。新しく生まれた肯定的なナラティブを、より揺ぎ無いものにするための作業行動があります。肯定的な解釈と作業行動による”力強い新しい一歩”をクライエントに感じてもらいたいものです。

どんな人でも、人間は”実現傾向”にあります。自分をより良い状態にシフトしようとする本能が備わっています。だからこそ、そのクライエントの人生がより良いものになるための、人生を彩ってきた・彩る・彩るであろう”意味ある作業”が必要なのです。否定的感情や、機能回復への過度の固執は、自己の意味ある作業に対する視点を盲目にします。クライエントが、その作業の大切さに気付けること、作業ができるようになること。作業ができることによって、自分の人生が再び好きになれること・・・クライエントと向き合う時に、作業療法士はこの3つをいつも大切にすることが使命です。


                                   ADOC:作業選択意思決定支援ソフト







20110112

分かれ道・・・




昨日から学生さんが来ています。3週間の評価実習です。バイザーは、僕をいつも支えてくれる主任のMさんと成長著しいKさんです。今日、少し空き時間ができ、学生さんと立ち話をしていました。




OT:今日から評価開始だね!今日は何を評価するの?



OTS:今日は筋力と関節可動域と感覚検査をしたいと思っています。



僕も学生の時はそうでした。どうしても機能評価からはじめようとしてしまう。でも話をしていると・・・



OTS:昨日、お話をしていたら、毎日行っていた農業のことをとても楽しそうに話していたんです。だからできれば農業をまたできればなって・・・そのためには筋力も必要だし、感覚や可動域も重要だと思ったんです。



クライエントの作業のことを考えて今日の評価項目を選択したのだそうです。僕の悪い癖です。嬉しくなるとしゃべり過ぎてしまいます・・・



OT:すごく大切なことだね!農業が大切な作業だと思ったから今日の評価項目を選択したんだね!でも、それは本人は大切だと思っているのかな?



OTS:・・・それは分かりません・・・話の中に農業の話しが沢山出てきたので、大切なのかなぁと思ったんです。



OT:それはクライエント自身が大切だと思えて初めて作業療法の介入計画や評価項目が決まるんじゃないかな?クライエントの話しを聞くこと・・・作業療法面接は、こちら側が、クライエントの意味ある作業を知るという意味もあるけれど、クライエントが、自分の意味ある作業を再認識するという大切な時間でもあるんだよ!作業って、日常の中を流れているものだから、改めて意味や価値を認識することって難しいんだよ!病人として、患者という立場で入院している時ならなおさらだよね!クライエントは、身体を治してほしくて来ているからね!面接は、自分はこんな作業や、あんな作業を、こんな目的で行っていたから私はイキイキと生活してこれたんだ!ってクライエントが再認識できる時間になってほしいんだよね!



OTS:そうか!私はただ関係作りがしたくて、楽しく話すことばかり考えていました。



OT:それも大切だよね!イイと思うよ!今日の評価はどうしようか?



OTS:もう少し面接をする時間を取ってもイイですか?もっとEさんの大切にしていた作業を知りたいです。Eさんにもそれを思い出してほしいです。



OT:その気持ちがクライエント中心の作業療法の土台だと思うよ!面接は難しいと思うけど、応援してるよ!



とても素直な子です。好奇心と素直さは、成長の一番のエネルギーだと思います。実習は分かれ道です。クライエント中心の概念は、医学モデルのそれより、概念の理解は難解かもしれません。3週間という短い期間。時間的制約はありますが、是非作業療法士を志して良かったという感覚を持って帰ってもらいたいと思います。

20110111

新しい身体で見つけた意味ある作業・・・ではなく、本当は昔から意味があった作業・・・


MさんのクライエントのHさん。順調に歩行やADL能力は改善してきているものの、本人から表出される希望や目標は、機能回復や歩行能力に関することばかり。なかなか自分の意味ある作業にむけたビジョンは表出されることはありませんでした。

先日MさんがHさんにADOCを使用して面接を行いました。iPadを使用しながら面接を進めていくと、病前の生活を構成していた様々な作業が表出されてきました。

その中で、意外な表出がありました。それは、ボランティアのイラストを見ながら面接を行っていた時のことです。

「この病気になってしばらくしてから考えていたんだけど・・・私と同じ病気の沢山の人や、高齢者達の話を聞いてあげるようなことをしながら生活していきたいの・・・」

それからMさんは、元気がないクライエントがいると、Hさんにお願いする形で、悩み相談をしてもらったり、1人で起きられないクライエントのベッドサイドに出向いていって、話し相手になったりなど、作業のコーディネートをしています。Hさんはイキイキとした表情で、歩行やADL訓練にも一層やる気が出てきたようです。退院後の資源の調整はこれからですが、是非、デイサービスをはじめとする地域のコミュニティで、新しい役割を遂行してもらいたいものです。

”今”は、過去の自分の道程と、未来のイメージとの統合から成る感覚に支配されています。過去の作業経験と、そこから予測される未来の発展的自己との合成的な感覚が今の自分のあり方を定位しています。しかし、過去の作業経験は、殆どの人は、健常な身体で成されたものであるため、障害を負った今、過去の作業経験から未来のイメージを構成することは難しく、今の自己が上手く定位できない状態に陥ります。だからこそ、再び過去の作業経験と、未来のイメージが上手く流れるように、そしてその統合から今を定位しなおすために、新しい身体での作業経験が必要なのです。

そのために私達作業療法士は、意味ある作業の共有を図ろうとします。その作業の持つ意味を、クライエントに再び感じてもらうように働きかけます。その時、どうしても作業を見つめる視点は、病前のクライエントの作業に向けられることが多いのではないでしょうか?特に医療機関ではそうかもしれません。

クライエントの過去に寄り添い、意味ある作業を共有することは勿論重要ですが、傷害を負った”今”、何をしたいのか?何か新しくやりたいこ思ったことはないか?、この部分にももっと目を向けなければいけないと感じさせてくれたエピソードでした。

Hさんは、病前から、友人達とのおしゃべりが大好きな人だったそうです。友達の悩み相談などにもいつも真剣に乗ってくれる明るく頼もしいお母さんだったそうです。もしかしたら、機能回復や歩行の改善ばかりに目が向いていると思っていたHさんは、誰よりも自分の大切な作業に目を向けていたのかもしれません・・・




              ADOC:作業選択意思決定支援ソフト





20110110

座らない人・・・






先日用事があって実家の会津若松に帰りました。次の日、どうしても郷土料理の田楽が食べたくなって、老舗の田楽屋に寄ってから郡山に帰ることにしました。

囲炉裏に対面したカウンターに座り、目の前で田楽を焼いてもらいます。こんにゃく。身欠きニシン。里芋。厚揚げ豆腐。餅。しんごろう(ごはんの粗つぶしにエゴマ味噌を塗ったもの)。どれも絶品でした。丁度僕が食べ終わる頃を見計らって、囲炉裏端のおばちゃんは、次の串を僕に手渡してくれます。店は大賑わいでしたが、おばちゃんは、元気にずっと立ちっぱなしで田楽を焼いていました。

妻が娘をトイレに連れて行ったとき、何気なく僕はおばちゃんに話しかけました。

「何で座って焼かないんですか?」 僕は尋ねました。

「串が立ってるのに私がすわれないでしょう!」とおばちゃんは冗談を僕に返しました。おばちゃんは続けました。昔、腰が痛くて、少しだけ座った時があったんだけど、だめだね。炭の温度が身体で感じられなくて、焼きの頃合もイマイチわかんない。味噌を塗る時も、かえって無理して手を伸ばさなくちゃいけないしね。そのときは、焼きあがった田楽を皿に盛って、運んでもらったんだけど、食べてもらった感じもしなかったね・・・














そのクライエントの立位保持が可能となったとき、何故喜んだんですか?・・・

病前は立てたからですか?・・・

立てないよりも、立てたほうがイイからですか?・・・

立てたとき、クライエントはどんな自分の未来を見つめていましたか?・・・






クライエントの意味ある作業の実現に向けて協業しようとするとき、

当然意味ある作業の項目の共有が必要です。

その作業が何故大切なのか?、理由を共有することも必要です。

その作業が意味を持つための環境因子・条件を共有することも大切です。

その実現に向けて、機能訓練や要素的動作練習が必要ならば、

クライエント自身が意味ある作業の可能化の為にその練習を選択したかどうかが大切です。

その作業が意味を持ち続けるために必要な、他の作業を可能にすることも必要です。








おばちゃんは、炭の温度を感じるために立っていました・・・

手際よく、田楽に味噌を塗るために立っていました・・・

客に田楽を手渡すために立っていました・・・





串が立っているからずっと立っていました・・・


















20110104

彼の帰りを待っているもの・・・





僕のクライエントのSさん
能面や仏像を何十年も彫り続けてきました・・・

少しずつ追視や僅かな表情の変化が見られてきましたが、
まだ意思疎通は全くとれません・・・



先日彼の息子さんが来院した時、
ステキな言葉に出会いました・・・



「オヤジ・・・家でさぁ、木が早く彫ってくれって待ってるぞ・・・」








僕は彼の作業を見つめています・・・

他のスタッフ、他のクライエントも彼の作業を見つめています・・・

家族も彼の作業を見つめています・・・




家で主の帰りを待つ木々達も、彼の作業を見つめています・・・




届いてほしい・・・













20110103

春と修羅



生まれてはじめて読書で泣いたのは、
小学生のときに読んだ”よだかの星”でした。
ずっと宮沢賢治は僕の中で特別な存在です・・・




こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
(乾いたでんしんばしらの列が
せはしく遷つてゐるらしい
きしやは銀河系の玲瓏れいろうレンズ
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしつてゐる
けれどもここはいつたいどこの停車
枕木を焼いてこさへた柵が立ち
(八月の よるのしじまの 寒天凝膠アガアゼル
支手のあるいちれつの柱は
なつかしい陰影だけでできてゐる
黄いろなラムプがふたつ
せいたかくあをじろい駅長の
真鍮棒もみえなければ
じつは駅長のかげもないのだ
(その大学の昆虫学の助手は
こんな車室いつぱいの液体のなかで
油のない赤をもじやもじやして
かばんにもたれて睡つてゐる)
わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに
ここではみなみへかけてゐる
焼杭の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
それはビーアのおりをよどませ
あやしいよるの 陽炎と
さびしい心意の明滅にまぎれ
水いろ川の水いろ駅
(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
汽車の逆行は希求ききうの同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない
そこらは青い孔雀のはねでいつぱい
真鍮の睡さうな脂肪酸にみち
車室の五つの電燈は
いよいよつめたく液化され
(考へださなければならないことを
わたくしはいたみやつかれから
なるべくおもひださうとしない)
今日のひるすぎなら
けはしく光る雲のしたで
まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを
ばかのやうに引つぱつたりついたりした
おれはその黄いろな服を着た隊長だ
だから睡いのはしかたない
(おゝおまへオー ヅウ せはしいみちづれよアイリーガー ゲゼルレ
どうかここから急いで去らないでくれアイレドツホ ニヒト フオン デヤ ステルレ
※(始め二重パーレン、1-2-54)尋常一年生 ドイツの尋常一年生※(終わり二重パーレン、1-2-55)
いきなりそんな悪い叫びを
投げつけるのはいつたいたれだ
けれども尋常一年生だ
夜中を過ぎたいまごろに
こんなにぱつちり眼をあくのは
ドイツの尋常一年生だ)
あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
(草や沼やです
一本の木もです)
※(始め二重パーレン、1-2-54)ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)こおんなにして眼は大きくあいてたけど
ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)ナーガラがね 眼をじつとこんなに赤くして
だんだんをちひさくしたよ こんなに※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)し 環をお切り そら 手を出して※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)鳥がね たくさんたねまきのときのやうに
ばあつと空を通つたの
でもギルちやんだまつてゐたよ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの
ぼくほんたうにつらかつた※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
※(始め二重パーレン、1-2-54)どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう
忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに※(終わり二重パーレン、1-2-55)
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じようとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
※(始め二重パーレン、1-2-54)耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい※(終わり二重パーレン、1-2-55)
さう甘えるやうに言つてから
たしかにあいつはじぶんのまはりの
眼にははつきりみえてゐる
なつかしいひとたちの声をきかなかつた
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちひさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
※(始め二重パーレン、1-2-54)ヘツケル博士!
わたくしがそのありがたい証明の
任にあたつてもよろしうございます※(終わり二重パーレン、1-2-55)
仮睡硅酸かすゐけいさんの雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……
(宗谷海峡を越える晩は
わたくしは夜どほし甲板に立ち
あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
からだはけがれたねがひにみたし
そしてわたくしはほんたうに挑戦しよう)
たしかにあのときはうなづいたのだ
そしてあんなにつぎのあさまで
胸がほとつてゐたくらゐだから
わたくしたちが死んだといつて泣いたあと
とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が
つぎのせかいへつゞくため
明るいいゝ匂のするものだつたことを
どんなにねがふかわからない
ほんたうにその夢の中のひとくさりは
かん護とかなしみとにつかれて睡つてゐた
おしげ子たちのあけがたのなかに
ぼんやりとしてはひつてきた
※(始め二重パーレン、1-2-54)黄いろな花こ おらもとるべがな※(終わり二重パーレン、1-2-55)
たしかにとし子はあのあけがたは
まだこの世かいのゆめのなかにゐて
落葉の風につみかさねられた
野はらをひとりあるきながら
ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ
そしてそのままさびしい林のなかの
いつぴきの鳥になつただらうか
I'estudiantina を風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたつて飛んで行つたらうか
やがてはそこに小さなプロペラのやうに
音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
無心のとりのうたをうたひながら
たよりなくさまよつて行つたらうか
わたくしはどうしてもさう思はない
なぜ通信が許されないのか
許されてゐる そして私のうけとつた通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうなうすものをかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる
そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ
あまりにもそのたひらかさとかがやきと
未知な全反射の方法と
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのづから研かれた
天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき
紐になつてながれるそらの楽音
また瓔珞やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしづかにゆききする
巨きなすあしの生物たち
遠いほのかな記憶のなかの花のかをり
それらのなかにしづかに立つたらうか
それともおれたちの声を聴かないのち
暗紅色の深くもわるいがらん洞と
意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声
亜硫酸や笑気せうきのにほひ
これらをそこに見るならば
あいつはその中にまつ青になつて立ち
立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いつたいほんたうのことだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いつたいありうることだらうか
そしてほんたうにみてゐるのだ)と
斯ういつてひとりなげくかもしれない……
わたくしのこんなさびしい考は
みんなよるのためにできるのだ
夜があけて海岸へかかるなら
そして波がきらきら光るなら
なにもかもみんないいかもしれない
けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか
むかしからの多数の実験から
倶舎がさつきのやうに云ふのだ
二度とこれをくり返してはいけない
おもては軟玉なんぎよくと銀のモナド
半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ
巻積雲けんせきうんのはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい蛍光板けいくわうばんになつて
いよいよあやしい苹果の匂を発散し
なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁ちかく
巻積雲にはひるとき……
※(始め二重パーレン、1-2-54)おいおい あの顔いろは少し青かつたよ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
だまつてゐろ
おれのいもうとの死顔が
まつ青だらうが黒からうが
きさまにどう斯う云はれるか
あいつはどこへ堕ちようと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
ぢきもう東の鋼もひかる
ほんたうにけふの……きのふのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポムプを……
※(始め二重パーレン、1-2-54)もひとつきかせてあげよう
ね じつさいね
あのときの眼は白かつたよ
すぐ瞑りかねてゐたよ※(終わり二重パーレン、1-2-55)
まだいつてゐるのか
もうぢきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かゞやくごとくにかがやくもの
おまへの武器やあらゆるものは
おまへにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
※(始め二重パーレン、1-2-54)みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない※(終わり二重パーレン、1-2-55)
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます