20101119

人生を救うということ・・・




今にも飛び立ちそうなキセキレイと雷鳥です。これはウチの若きエースT君のクライエント、Yさんが作った鳥です。

彼は幼少の頃から野鳥に魅せられ、子供の頃は山に行っては、鳥の巣探しばかりしていたそうです。定年後は、針金で骨組みを作り、そこに紙粘土を盛り付けて形を整形し、絵の具で色を付けて野鳥を作り、その鳥をディスプレイするという趣味を行ってきました。

T君との協業で、自分の大切な趣味と、趣味の価値を取りもどしたようです。あまりに素晴らしくて、山をバックに写真を撮らせて頂きました。





僕のクライエントのMさん。救命が奇跡と言えるほどの広範囲の脳出血を呈しました。現在はベッド上でADLは全介助レベル。コミュニケーションも全く取れない状態です。

先日奥様にお願いをして、春にMさんが植えて、先日親戚の助けを借りて無事収穫を終えた稲穂を病院に持ってきてもらいました。

稲を手にとってもらい、無事に収穫を終えたことを、僕はMさんに話しかけました。全く反応はありませんでした。何度話しかけてもそれは変わりませんでした。

しかし、「Mさんが植えた米が無事収穫されましたよ。これで奥様はまたゴハンが食べられます。Mさんが一生懸命田植えをしてくれたお陰ですね」と語りかけると、彼の表情が変わり始めました。

感情失禁のような突然の号泣とは違い・・・悲しいような、憂うような、安心のような、無念のような・・表現できない表情を浮かべて、ゆっくりと涙が伝いました。

元々弱視だったMさん。難聴もあり、自宅ではテレビもラジオも使用することはなく、静かな毎日を過ごされていたそうです。しかし、車道と歩道を分ける白線を目印に、毎日歩いて田んぼに通い、農業に勤しんでいたそうです。

いつも殆ど口を開かない軽度の知的障害のある奥様が突然口を開きました。「お父さんは私をわかっていますか?」僕に質問してきました。「絶対に分かっていますよ。Mさんの人生の意味は奥様を想い、奥様の為に働くことだったんではないでしょうか?お米が無事収穫できて、奥様がまたゴハンを食べられることに安心したんだと思います」と答えました。奥様もMさんと同じ表情を浮かべ、しばらく時間が止まりました。

作業療法士は、クライエントの命を直接救うことはできません。しかしクライエントとその家族の人生を救うことのできる作業療法士に僕はなりたいです。

”今”の感情は、過去の納得と昇華の上に抱くことが重要です。僕はクライエントに報われてほしいです。自分の人生に納得してほしいです。自分は誰かにとって大切な存在なんだということを全てのクライエントに感じてほしいです。

大切な人を大切と思えるように・・・自分を大切にしてほしいです。それを可能にする作業療法士になりたいです。


20101116

欲求の階段昇降に寄り添いながら共に価値を見つめること・・・



90歳認知症のTさん。毎日OT室でアンダリア手芸の皿作りを楽しんでいました。作った皿に手作りのお菓子を乗せて皆に振舞いたいと、先日は蒸しパン作りを行い、手作りの色とりどりの皿を楽しみながらお菓子をいただきました。昔、京都で稽古修行を経験したTさんは、作法にとてもこだわり、その立ち居振る舞いが自尊心を形成している大切なパフォーマンスであることを伺わせました。

そんなTさんの様子が昨日急に変わりました。「こんなことしても何もならない!もう作らない」との表出が聞かれました。詳しく話を聞くと、最近悪化した腰痛にかなり苦しんでいるとのことでした。

僕はこれからの作業については一切触れずに、ホットパックを施行し、腰部のマッサージや和室での動作練習のみを行いました。その後も、頻繁に部屋を来室し、声をかけました。

家族の都合で、入院期間が延長されているTさん。隣りのベッドのUさんは、毎日沢山の御見舞い客が来るのに、Tさんには殆ど来ません。反対隣のSさんは、歩行でのADLが上り調子で、単位数も増え、PT・OTの介入量が多くなっています。

そんな孤独を強く感じてしまう環境で、腰痛も悪化して・・・Tさんの欲求段階は急降下していました。そんなときは無理に作業に目を向けてもらおうとする介入は、かえって逆効果です。欲求段階の底上げが急には不可能でも、欲求段階の底上げの保障を提供することは可能です。

私達はいつもあなたのことを考えていますよ・・・あなたの苦痛を取り除こうと皆が努力していますよ・・私達はあなたの味方ですよ・・・このようなスタンスで皆が介入し、生理的欲求解決の保障や安心・所属感等が何よりも認知症のクライエントには必要です。

一時的な否定的表出に対して、執拗に傾聴し、対策を提案することは、本人の一時的感情が表出させた”語り”に、逃れられない・取り消しようの無い繋がりを作ってしまうことになります。傾聴とは非常に技術のいるテクニックです。

事実、今日のTさんは今までと何も変わらないTさんでした。楽しそうにアンダリア手芸を行い、表情は穏やかでした。介入が終了し、部屋に送っていくと、一緒に見学していた学生さんに、嬉しそうに作った皿を見せていました。

人間は自らを向上させよう・楽しもうとする生き物です。”意欲低下”などというアセスメントに介入者の誠実さは微塵もありません。”意欲が低下しているから作業導入が困難”なのではなく、意欲的になれない状態で苦しんでいるクライエントを救うことが仕事なのです。毎日アンダリアを楽しむTさん・・・僕に罵声を浴びせたTさん・・・どちらもTさんです。

高齢者は孤独です。身体に問題を抱えています。欲求段階はほんのささいな出来事で、すぐに上下してしまいます。認知症を抱え、自己統制の難しいクライエントならばなおさらです。

僕は欲求段階の最上階で待っているような作業療法士には決してならないと改めて誓いました。クライエントがどの階層でもがいているのかをいつも見つめて、どの階層にいても共に上を見上げながら横を歩ける作業療法士になりたいと思いました。



20101112

涙の理由の変遷に見えた成長の軌跡に



秋です!福島はもうダウンジャケットを着ている人を見かけるようになりました。娘のアンパンマンにもこの帽子を被せる時期がやってきました。この帽子は、去年の冬に、クライエントのSさんが娘の為に編んでくれた大切な帽子です。娘がはしゃぐのでピンボケです・・・



夕方、後輩のKさんに相談を受けました。80代の男性Hさん。独居生活を営みながら、頻繁に健康センターに通い、大好きなお風呂を楽しんだり、そこで顔なじみの仲間との交流を楽しんでいました。彼は毎日英語で日記をつけているスゴイ日課を持っています。毎日の出来事を大学ノートに書き綴っています。毎日の楽しみであると同時に、自尊心を維持する大切な作業であるという印象を先日代行した際に受けました。

健康センターに通い、お風呂を楽しんだり、他者との交流を楽しんだりという作業の構成要素に、自動車運転が欠かせないのだそうです。健康センターまでの交通手段であると同時に、仲間を乗せてあげたりしているエピソードを自慢げに語るクライエントと毎日接する中で、Kさんはどうしても運転をまたさせてあげたいそうです。

心理検査の結果は、”運転の是非は境界ライン”との結果がでたそうです。おそらく主治医としては、高齢であることなどを理由に、運転を禁止しそうな印象が強いのだそうです。何とか定期的に来る高次脳機能障害や自動車運転の判断に長ける専門医の判断を仰ぎたいとのことですが、そこは病院という複雑な社会・・・依頼を主治医にお願いすることが難しい空気があるようです・・・

ぼくはKさんの切実な想いに心が切れる思いを抱きながらも、とても温かい気持ちに支配されていました。”できるか” ”できないか” ではなく、”させてあげたい” そしてその理由がHさんとのストーリーの共有の結果、そこに存在していたからです。

KさんがHさんのストーリーを守ろうとしているのと同時に、僕はKさんの作業療法を守る義務があります。非常に難しいプロセスではありますが、Kさんの想いを守るため・・・そしてKさんの想いを守ることによってHさんの価値ある作業を守るために行動しようと思いました。

いつも作業療法とは?が分からずに自信が持てなくて涙をながしていたKさん・・・・いつの間にかクライエントの大切な作業を守るための涙に変わっていました・・・クライエントの主観に寄り添う作業療法士の鏡のような後輩の価値ある作業をずっと守ろうと思いました。守れる存在でいなければと決意した夕方でした・・・






20101111

人生の四季の彩り・・・





学生が来ています。6週間の臨床実習です。スーパーバイザーはウチのスーパーエースのkibiさん。サブバイザーは急成長中のIさんです。今回の実習では、一般的な実習とは少し違ったアプローチで学生指導に当たっています。

最初の1週間は、クライエントに触れてはいけない。クライエントに触れる前に、徹底的にクライエントの人生に触れてもらう。そのプロセスの中で、クライエントの価値ある作業を共有し、重要性や緊急性を把握してから各種評価項目へと移ってもらうという流れで実習を行っています。

実習開始前、kibiさんと何度か話し合いをしました。学生が混乱しないだろうか?スケジュール的に時間が足りるだろうか?など様々な不安要素がありましたが、実行することになりました。

最初は学生さんの困惑した様子が目立ちましたが、少しずつ表情がイキイキと変化してきて、今では悩みながらも、日々の介入を楽しんでいるようにも見えます。

多くの実習が、医学モデルを基本として、セラピスト中心の思考の元に行われている現状がいまだに根強いのではないでしょうか?学生から見ても、その方が思考や考察は容易であることは想像に難しくありません。徹底的にクライエント中心の実習を臨床経験の無い学生に行わせることは、非常にリスクを伴います。ヘタをすると学生の混乱を助長し、作業療法への情熱をも削り取ってしまう可能性と表裏一体だからです。非常に指導力を問われる介入プロセスだと思います。

kibiさんとIさんは、そんな難題に見事に効果を出してくれています。この実習は、学生さんにとって、作業療法人生の大きな転機になるはずです。


人生に四季があるとすれば、学生さんは、正に春の真っ只中でしょう。そこで眩い太陽の光や養分を与えられることで、人生の夏が訪れます。

僕は、仕事が楽しくなってきたら人生は夏が始まると思っています。しかし、春にしっかりと光や養分を与えられなければ、夏の訪れは遅れ、訪れた夏も力強さに欠けるものになってしまいます。

学生さんは、これ以上無いくらいに、眩い光と養分を毎日吸収していると思います。今回の実習が力強い夏の訪れを保障してくれています。人生の秋に差し掛かっているであろうクライエントに対して、力の衰えを感じる前に、人生経験という紅葉の多彩な彩りに目を向けられるセラピストになってくれると信じています。

kibiさんIさん 毎日学生さんに対する質の高い作業療法をありがとう。