20111021

僕は作業に答えがあると思う

楽しかった思い出は沢山あるけれど
あの日に戻りたいなんて思ったことは一度もない

でも未来を見つめて理想を描くその理由は
あの日にあったのかもしれない

過去があったから未来を描けるのだとしたら
僕の「今」は過去と未来の統合の現象なんだと思う

操作することができない時間の流れの中で
当たり前のように過去は蓄積されて
その蓄積から描く未来が更新されて

連続性は意識の中で時間を止めることでしか
その構造を語ることはできない

未来に希望を描くことのできる人は
過去の解釈が明るい人かもしれない

未来を悲観する人は
過去の解釈も否定的なのかもしれない

過去の解釈が明くても
今の環境を肯定的に捉えられなければ
描く未来は否定的かもしれない

全ては同時に立ち現れる現象で
そこに順序や階層は存在しない

今を作るということは
過去と未来を作るということだと思う

過去は体験とその解釈の統合の結果
肯定的な事実として刻みたい

未来はある程度の実現可能性を秘めた
イメージを内包していたい





人は居室からトイレに向かうのではない

過去から未来に向かっている

過去と未来は連続性が必要

連続性の断たれた「今」は

自分が何者なのかもわからない

そこに主体性なんて存在するはずもなく

ただただ時間が流れて
流れた時間が否定的な解釈を生む過去を生産し続ける

僕は作業に答えがあると思う

過去とは成したことであり
未来とは成したいこと

大切な何かを成すことで大切な何かを成したいと思えること
実際に成すことができること

クライエントの「今」は
そんな「今」であってほしい

可能化という言葉の本当の意味を
考えてほしい


20111009

もう目の前にあらゆる物が揃っている。

評価の結果から介入計画を立案することは大切だけど、
もっと大切なのは何を評価するかだと思う。


評価の内容は、自分は何をする専門職なのか?
その自問に対する答えによって決まると思う。


動きを改善させることが専門性だと思うならば、
当然身体機能や能力の評価が中心になる。


安心を提供することが専門性だと思うならば、
心理面の評価が中心になるかもしれない。


作業療法士は何の専門家だろう?






作業の専門家だろうと思う。


でも少し言葉が足りないとも思う。


でもあんまり長く言うのもどうかと思う。


短く言うならば、やはり「作業遂行」の専門家だと思う。


作業はその活動単体で存在や表現が可能だけれど、
作業遂行は個人の文脈無しに語ることはできない。


動作遂行と作業遂行は同義ではない。


動作遂行は現象や耐久性、効率性や安定性で語ることが可能だけれど、
作業遂行はそこに個人の文脈に依存した意味や価値がある。


動作が可能だから生活できるのではない。
生活の中に責任や義務、楽しみや習慣、役割や目標があるから体が動いて、
そしてそれは作業遂行と呼ばれるんだと思う。


だから作業遂行は身体機能や動作だけでは介入することはできない。
人ー環境ー作業の連関の中に作業遂行を見いださなければいけない。


作業遂行に焦点を当てるということは、
人ー環境ー作業すべての側面に焦点を当てるということ。


それはそれぞれ別々の側面として情報を把握するということではなくて、
あくまでも連関の中、揺らぎの統合として捉えることが必要だと思う。


だから僕たちはクライエントと話さなければならない。
意味のある作業は何か?を知るのではなくて、
意味のある作業の「意味」とは何なのか?
その意味を担保する作業遂行は、
人ー環境ー作業のどのような連関のもとに成立していたのか?
それを共有しなければならないと思う。


そして恊働しなければならないと思う。
その意味のある作業の「意味」を守るために
機能回復や、動作の習得や、遂行の工夫や、環境の変更や、時には作業の変更を。


ADOCはクライエントと作業療法士が共に作業に焦点を当てて
障害によって忘れかけた意味のある作業を見つけることができる。
面接を通して10dimensionを整理する為の情報も共有することができる。
思考が医学モデルや還元主義に支配されたクライエントが、簡単に
作業遂行文脈に思考変換できるこのツールは芸術作品だとさえ思う。


AMPSは単純な動作としてではなく、運動技能、処理技能の両側面から
作業遂行の質を極めて高いエビデンスで僕たちに示してくれる。
作業を動作の安定性や体力などの偏った側面で評価することを良しとせずに、
作業遂行の質を定量化したことは作業療法の革命だと思う。


OTIPMはその洗練された構造から、僕たちの介入のプロセスや
考慮すべきポイントを的確に示し導いてくれる。
10dimensionと観察と介入モデル選択のプロセスは美しいと思う。


MOHOのサブシステムと多くの整備された評価法は、作業適応を妨げる
解決すべき因子と解決のヒントを与えてくれる。
常に固定されることのない人間のダイナミクスを、ここまで詳細に
構造化したモデルは類希な存在だと思う。


CMOP-Eは、作業療法とは何をする専門職か?そして作業遂行と結びつきを
シンプルかつ力強く示してくれる。engagementが加わったことで、
ますます力強く、そして魅力的な構造になったと思う。


OSは、僕たちの大切にしている「作業」とは何か?その原理的な探求の答えを
いつも明確に、そして多面的に示してくれる。人は作業的存在だと思う。


もう目の前にあらゆる物が揃っている。


少しの疑問と勇気と行動が大切だと思う。


自分のあり方で、自分の関心によって
クライエントの見方が変わる。
見方が変われば評価が変わる。
評価が変われば導いた推論が変わる。
推論が変われば介入内容が変わる。
介入内容が変わればクライエントが変わる。
クライエントが変わればクライエントの未来が変わる。
クライエントの未来が変われば作業療法士が変わる。


僕たちは何をする人なのか?
それをいつも問い続けなければいけないと思う。
いつも自己研鑽を続けなくてはいけないと思う。


僕たちはどんなに努力しても絶対じゃなくて、
人がより良く生きようとする想いは絶対だから。