20130725

一見矛盾する両者の緊張を解く


本文と写真のフローレンス・クラークは直接関係ありませんが,
作業的ストーリーテリングについて空想していた時に,この記事を書いたので
リスペクトの意味を込めて載せさせていただきました.


作業に焦点を当てた実践が叫ばれている
面接や目標設定の重要性を感じ
クライエントの大切な作業を知ることに力を注ぐ


面接をして観察をする
検査・測定をする


問題の特定と課題の解決方法を導く
クライエントと協働する


作業を聞けば目標が決まる?
観察をすれば課題を特定できる?
検査測定をすれば答えがでる?
作業療法ができる?


作業療法において最も大切なことは
クライエントの総体を捉え寄り添う姿勢


どのような人生史を歩んできたのか
どのような環境の中で生きているのか


どのような文化の中で生きているのか
どのような社会に所属しているのか


どのような人と交流して
そこにどのような関係があって
どのような役割を持っているのか


どのような能力を持っていて
どのような課題があるのか


どのような作業を好むのか
その価値観を支える理由はなにか


どのような制約や資源があるのか
今の自分をどう感じているのか


クライエントのありとらゆる側面に触れ
クライエントと協働しようとする姿勢を持っていなければ


面接も観察も検査測定も
きっと効果的に作用しない


作業的存在としてクライエント全体を捉えようとし
自分という全体でクライエントを支えようと表明すること


それが機能や動作に限定せず
人の個人的な営みである作業を支援しようとする
専門職の取るべき態度であり
効果的な支援を行うための条件だと思う


作業療法の専門性を表明するためにも
そしてクライエントが作業療法を理解し
主体的に作業療法に参加するためにも
説明や面接や観察評価を実施することは非常に意味がある


しかし作業的存在として
クライエントの総体を捉えようとする姿勢を持ち得ていなければ
全ての評価・介入は薄っぺらい手段の行使となるだろう


人はダイナミックな存在であり
相互交流的に事実は更新されていく


評価を通して目標や手段を固定するべきことと
相互交流的な変化の中で次の手段を考え続けること


この一見矛盾する両者の緊張を解くことができれば

作業療法は劇的に効果的な手段となる







20130720

一瞬の感覚の絶え間ない更新


過去,現在,未来
一見この3つは並列的に扱われるが


現在とはあくまでも過去と未来の境目であり
過去と未来の統合的な一瞬の感覚の絶え間ない更新である


若者は過去の経験があまりにも少ないがゆえに
思い描く未来もあまりに制約がなく


過去と未来の統合的な感覚で構成される「現在」は
環境に適応するがゆえに感覚的な自覚はなくとも
非常に不安定である


このように未来に対する具体的で発展的な感覚が
過去の経験と解釈に影響を受けるのならば


後遺障害を背負った人もまた
障害を負うまでの長い経験と
障害を負ってからの僅かな経験の解釈に戸惑い


過去の事実を受け入れられずに
憧れによってのみ思い描く未来を
現在の自分が保証してくれはしない


作業ができるということは,
作業自体ができたという事実と
作業ができたという過去が生み出す発展的な未来の感覚


この2つの統合から生まれる現在の感覚に帰結したい.といつも想う.






作業的ストーリーメイキングも
日々何気なく行う声掛けも 
実存的作業の提供も
実動作練習も…


いつも同じことを考えている





20130712

作業療法と機能訓練


今日は,友利さんと竹林さんが当院で講義をしてくださいます.
震災で被災した私たち,そしてクライエントの為にと
ご多忙の中,お時間を作ってくれました.
参加者一同,心より感謝申し上げます.
たくさんの知識・技術を吸収して,
クライエントの生活に還元したいと思います.






多くの作業療法士,特に医療機関に所属する作業療法士たちは,
「ある問い」をずっと抱えてきた.
それは,「作業療法に機能訓練は含まれるか否か」という問いである.

「作業に焦点を当てた実践」が叫ばれるようになってから,
なおさらこの問いに対する議論を様々な場所で聞くようになった.

どうやら作業に焦点を当てた実践と機能訓練は,
まるで対立関係にあるような印象を抱くセラピストが多いようである.
 
作業に焦点を当てた実践を推進している現在の作業療法が,
一部のセラピストの誤解を招いたり,
クライエントの可能性をむやみに狭小化してしまうことがないように,
ここでは作業療法と機能訓練について,少し触れておこうと思う.

 多くの作業療法士が医療機関に所属する日本では,
疾病や障害の回復過程で作業療法が処方されることが多い.
当然クライエントは私たちに失った身体機能の回復を希望してくる.

このような状況で,作業療法士がクライエントの作業に焦点を当てようとしても,
クライエントと作業療法士の間では,
これから展開される作業療法に対する認識のズレが生じることは少なくない.

機能回復を希望するクライエントに対して,
いくら説明をして,作業に目を向けてもらおうとしても,
クライエントの機能回復への固執は強くなるばかりで,
信頼関係を築けないまま,
毎日マッサージや関節可動域訓練をした経験はないだろうか.

このような背景も手伝ってか,
日本では,「クライエントが機能回復に固執しないこと」が
セラピストの重要な関心事になっており,

機能訓練は「望ましくない作業療法」.
ADL訓練や趣味活動などを「作業療法らしい作業療法」
という印象を持っている作業療法士が沢山いる.

しかし作業に焦点を当てる実践と機能訓練は,
どちらが大切かという観点で語るべきものではないと思う.

作業ができるようになることを支援するのは,
作業療法士の大切な役割であることは言うまでもないが,

疾病や障害の回復段階にいるクライエントが,
病前の身体機能により近い状態で作業ができるようになる可能性があるのならば,
その可能性を否定するような支援は,
対象者のニーズに応えるという医療の本分に反する行為だと思う.
また,むやみに作業療法の可能性を狭小化してしまっていると私は思う.

ここで,作業療法に機能訓練は含まれるか否かの問いに対する
明確な答えの一例を示そう… (現在執筆中の未校正原稿より一部を抜粋)











20130705

partnership


帰宅した直後に電話が鳴りました
鳥取の友人からでした
彼女はとても興奮していました


詳細は書けませんが
まだまだ技能の低いクライエントが
大切な作業を体験しながら
すこしずつ今後の生活への解釈が肯定的に変化し
自己効力感が高まってきたという内容でした


そしてその介入をする時
僕が昔書いた記事が介入のきっかけになったんだと…
それをとても大きな声で伝えてくれました





確かにきっかけは僕の書いた記事だったかもしれません
でも今回の介入の成功の理由は
友人とクライエントのパートナーシップにあったのだと
話を聞きながら僕は思いました


後遺障害を持つクライエントの遂行技能は
どんなに技能が向上し,努力の減少や効率化が図れたとしても
健常時の遂行技能に勝ることは困難です


大切なことは,技能の向上に並行して,
自分の変化をどう解釈できるかです


そして次の行動がどのように変化するかです
そのためには,隣にいる人間との関係性がとても大切な要素となります


信頼できるパートナーがいなければ
僅かな技能の向上は,健常時の自分との差を痛感する体験にしかならずに
余計に絶望を深めてしまうかもしれません


一緒に目標を共有し
一緒に感情を共有し
一緒に価値観を共有し
一緒に体験を共有し
一緒に結果を共有し
一緒に希望を共有できる


そんな関係があるからこそ,
僅かな自分の変化に希望を見いだし
明日の自分を楽しみに感じることができます


彼女は単に面接で聞き出した作業を提供したのではありません
クライエントの想いに日々寄り添いながら
何とかクライエントに貢献できないか
日々もがきながらクライエントと様々な感情を共有し
作業の可能化に向けた調整をしてきたのです


友人の話を聞いて
改めて作業療法士とは
最も効果的な環境因子であるべきだと感じました



素敵な声をありがとう




20130704

作業療法を知らないクライエントとクライエントを知らない作業療法士が共に歩むのだから…






来週,7月13日に山形県立保健医療大学に友利さんと一緒にお邪魔します.
山形作業行動研究会さん主催の勉強会です.


今回僕達は,「作業に焦点を当てた実践ができるまでに僕達がやってきたこと」
と題しまして,基礎編を友利さん.実践編を僕がお話させていただきます.


今回僕は,ADOCを用いた面接評価についてお話しようと思います.
作業療法は,目の前のクライエントに対するオーダーメードの支援でありながら,
ほとんどのクライエントは作業療法を知りません.
また作業療法士は,クライエントのことを知りません.


ですから,作業療法の開始,つまり協働のはじまりに作業療法の説明を行い,
面接評価を行うことは,極めて自然な流れなんです.


今回は,その「あたりまえ」を丁寧にお伝えできればと思っています.
参加される皆様,どうぞよろしくお願いいたします.