自分の価値ある作業を客観視することは非常に困難だ・・・
その中で遂行していく作業を決定していくことは至難の技だ・・・
セラピストのテクニックも勿論必要だが
それでも作業決定に至らない場合はある・・・
機能回復に固執するあまり
自己の作業遂行文脈を想起できない・・・
失語など意思疎通の問題がある・・・
クライアント本人も気づかない
防衛規制が次の一歩を妨げている・・・
認知機能の低下から価値ある作業を
客観性をもって見つめられない・・・
色々な理由があるだろう・・・・
どのような作業をしていたか・・・
何故その作業をしていたのか・・・
その作業を通してどのような肯定的体験と感情があったか・・・
いつもこのような階層的コミュニケーションで
クライアントと作業共有をしている・・・
作業項目の抽出のみに焦点を当てると
仮にその作業を再び遂行することが困難な場合
意味や価値を具現化する可能性の模索が混迷を極める・・・
何故その作業に価値を置いていたのか・・・
聴取や観察やなどから
クライアントに必要な文脈を模索していくことも必要だ・・・
作業選択が全く困難なクライアントについても
そのクライアントがイキイキとした表情を見せる
環境や文脈を大切に捉え、今後もその環境を提供することは可能だ・・・
作業療法は協業が前提であることに異論は無い・・・
しかし、協業体制をとれないクライアントが沢山いることも
疑いの無い事実だ・・・
意志にも、習慣にも、遂行にも効果的な直接介入ができなくても・・・
環境を変えることはできる・・・
環境設定という言葉を見つめなおしたい・・・
物理的環境の改善や福祉用具の使用のみを指すのではなく・・・
クライアントがイキイキした表情を見せる環境とは何か?
これを含めて調整を行いたい・・・
申し送りたい・・・・
人間は生きていると同時に
生かされている・・・・
主体的な作業遂行文脈にも
本人の意志が介在しえない
環境因子が多数存在し・・・
主体性とは無数の環境ありきで存在しえるというスタンスを認めなければ・・・
人間を理解はできない・・・
価値ある作業を提供することも作業療法だが、
価値ある作業を遂行できるかもしれない
環境を提供することも・・・
作業療法といってはいけないだろうか?
だって作業療法の目標は、自分の生活に戻った先の
クライアントの幸せなのだから・・・
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