ADLをはじめとする能力を向上させ、再び社会適応できる状態を構築する・・・
聞こえは良いが、これは、人間の生活に必要だと思われる構成要素を、
能力のみに限定する危険な仮説だ・・・
OTになる直前の自分と、なった直後の自分を思い出してみる。
最終学年の僕は、学校の中でも最も上級生であり、
後輩達よりも、明らかに知識や実習で培われた経験を持っていた・・・
でもたったその数ヵ月後、就職した直後の僕は、
何もできない無力感に苛まれ、
クライエントと向き合うことに恐怖感すら感じることもあった・・・
このたった数ヶ月で、僕の能力に有意差なんて無かった・・・
むしろ後者の僕の方が、少なからず経験値は増えていたはずだ・・・
でも、前者の僕は有能感を感じていて・・・
後者の僕は、それを微塵も持ちえていなかった・・・
大切なことは、能力と共に、自分が所属する環境下で
自分が効果的であるという感情、効力感を感じられること・・・
どちらが欠けても自分の作業に適応することは難しい・・・
じゃあ、効力感を感じられるように、コミュニケーションや段階付けを考慮して
日々のADL訓練や機能訓練を実施すればそれでいいのだろうか・・・
おそらく、病院という特殊な環境下で、患者という立場でそれを遂行する分には
大きな問題は見えてこないかもしれない・・・
しかしながら、その文脈は、本来そのクライエントが生活すべき文脈ではない・・・
いずれ入院リハを終えて、自分の戻るべき環境・文脈へと解き放たれたときに・・・
一瞬にして、今まで獲得されてきたように見えた
能力と効力感の統合的な自己の定位は崩れ去る危険が待ち構えている・・・
ある日突然、健常だった自分が様々な作業を遂行してきた環境・文脈へと戻ることで
病院に入院している患者という立場で成立していた暫定的な人・作業・環境の中でのみ
成立していた自己は大きくゆらぐ・・・
人・作業・環境のダイナミクスの中で生活は成立されているにもかかわらず、
”人”にのみ介入しなければ、退院後、クライエント本人の作業・環境に支配された
文脈に戻った時、何が起こる?
想像に難しくない・・・
本来クライエントが生活していく文脈が存在し、
今目の前のクライエントは、それとは別の文脈に暫定的に存在しているということを
もっと意識しなければいけない・・・
本来戻るべき文脈で”遂行されてきた”・”遂行したい”作業を共有し協業するということは、
戻るべき文脈へのランディングを円滑にするという視点からも
非常に需要な要素だ。
入院生活の経過の中で、どんなに障害を受容したように見えても、
一歩病院の外に出て、自分意外の人間が皆健常者であったならば、
その瞬間にその受容は効力を失うかもしれない、
障害受容なんてものは、ショック期から受容期へと
一方向性に移行するものではない。
自分(人)と環境との交わりの中で、常に浮き沈みするダイナミクスなんだ。
環境という海に飛び込んだときに、自分の揺らぎを少なくし、
揺らぎながらも前を向けるかどうかは、
人・環境の要素に加えて、もう一つの大切な要素・・・
”作業ができるということ”が大きく影響する・・・
だからOTとクライエントは、入院・患者という別の文脈にいながらも、
本来戻るべき文脈に存在していた作業に目を向けたい・・・
障害を負った”新しい身体”(人)で意味ある作業を出来るようになり、
戻るべき環境へと復帰することが”ソフトランディング”って言うんじゃないかなぁ・・・
ADL能力だけ向上させて・・・
退院前訪問行って・・・
練習通り動けるか確認して・・・
介助法の家族指導して・・・
最後にケアマネに丁寧にサマリー書くことを”ソフトランディング”なんて
安易に言わないでほしい・・・
意味ある作業を今に適した形でできるように
返信削除と考えてクライエントにかかわっているつもりですが
言うは易き行なうは難しで
自分の行動はまさに
「ADL能力だけ向上させて・・・
退院前訪問行って・・・
練習通り動けるか確認して・・・
介助法の家族指導して・・・
丁寧にサマリー書く」
ということに似たような状態になってしまっています
限られた時間で「作業」をみるのに
侍OTさんがやっている工夫などあれば
アドバイスをいただければ幸いです
ぷーさん ありがとうございます。
返信削除非常にアナログな方法でしか説明できませんが、僕やウチのスタッフがどのように介入しているかを箇条書きで書きます。
まず、自分が作業の専門家であること。作業療法の時間は、自分が大切にしていた作業や、できなければいけない作業を再びできるようになるための時間であることを説明します。今はADOCを試用しておりますので、ADOC面接を行いながら並行して説明を行うことが多いです。
面接で、その人の作業や遂行文脈を共有したら、クライエント本人と確認作業を行うと共に、他のOTや他職種にも、そのクライエントがどのような作業や文脈を大切に生活を営んできたのかをなるべく発信していくことを大切にしています。
ADL訓練や必要な機能訓練と並行して、クライエントが大切にしていた作業に当然介入していきます。介入するだけでなく、本人や家族の了承の元、大切にしていた作業に関連する物や、道具、作品などを持参していただき、それをクライエントの近くにいつも置いておいたり、時には、掲示して皆からのフィードバックを仰いだり、いつも自分の大切にしていた作業に触れる(遂行するだけでなくて)機会を増やすように考慮しています。
家族とのコミュニケーションも、介助法やリスクなどの話がメインなってしまわないように、必要な説明や指導は行いながらも、患者としてではなく、たいせつな○○なことをしていたお父さん(お母さん)という見方を家族ができるような作業についてのコミュニケーションを大切にしています。
サマリーも同様です。動作面などに加えて、そのクライエントが、どんな作業を行ってきたのか、その作業にどのような意味をもっているのか、だから、その作業について、どのように働きかけてほしいのか、などを記載するように心がけています。
そして、様々な介入の中で起こりえる変化は、必ず肯定的な語りや解釈につながっていくように、ナラティブアプローチにも注意をいつもはらっています。
すいません。アナログなことばっかりで・・・特別な手段をとっているわけではないのです。最初は非常に苦労しました。作業に介入しようとすると、そんなことよりも手を治してよ!と言われたことも昔は沢山ありました。でも意味ある作業を遂行してイキイキするクライエントが増えてくると、新しく入院してくるクライエントも、自分の作業に目を向けて、それを目標にすることに抵抗が少なくなるような印象を感じています。
返信ありがとうございます。
返信削除「作業アウトプットを大切に」ということですね
実際に作業でよい効果を出している時は興味を示してくれるのですが・・・
言葉でのアウトプットには厚い壁があります。
「作業って何?」から始まり
「あらそう。それよりも・・・」となってしまうことが多々あります。
限られた時間ではちゃんとした理解を得られません。
家族に対しては伝えやすいのですが・・・
PTには特に行動で示すほうが効果的で言葉にするとすぐ信念対立になってしまいます。なのであまりできません。
うまくいくこともありますが。
具体的にどのような言葉をかければよいのか、といったところにいつも悩みます。
一人で出来ることはとても少ない。
でも、限られた時間で興味ない人、仕事を増やしたくない人にわかってもらって動いてもらうのは難しい。
愚痴本のように絵を使ったり動画を使ったり写真を使ったりした具体的な実践伝達形態がもっとふえないと、同じ悩みを持つ人は減らないように思います。
こう綴っている自分も具体的な実践伝達に力を入れないといけないんですよね^^;
興味ない人や仕事を増やしたくないといった行動をする他職種の人に、理解してもらえたエピソードって何かありますか?
ぷーさん 有難うございます。
返信削除確かに・・・おっしゃることよく分かります。
僕も同じ悩みをずっと抱えていました。
僕の場合は、分かってもらえない!と思いながら、実はちゃんと発信していない自分がいました。自分の発信不足も大きな原因でしたね・・・
でも、OTの専門性とは何か?をストレートに発信し続けたのではなく、クライエント一人ひとりの大切な作業や、その作業に関連したエピソードを、色々な場所で発信し続けて、かつ作業ベースの介入を続けて、それを継続していくうちに、少しずつ他職種の認識や理解も変化してきた印象があります。決定的なエピソードはありません・・・地道にやってきました。
信念対立に陥ったり、同じような悩みを抱えているOTってすごく沢山いるんでしょうね。