20110501

太陽の欠片






さっき某テレビ番組で、出演タレントがトマトジュースを飲んでいた。

急に祖母のトマトジュースが飲みたくなった・・・

子供のころ、夏に遊びに行くと、必ず祖母はトマトジュースを作ってくれた。

夏の冷蔵庫に、必ず麦茶が入っているのと同じくらい、毎日冷蔵庫にトマトジュースが入っていた。

幼少のころは、トマトを丸ごとミキサーにかけて作る濃厚なジュースが苦手だったけど、

小学校の頃には大好きで、毎年楽しみになっていた。

祖母も僕たちの喜ぶ顔が見たくて作ってくれてたんんだと思う・・・



そういえば、いつから飲んでないんだろう・・・

はっきり覚えてないけれど、少なくても10年は飲んでないなぁ・・・



僕が飲みたいって言ったら、祖母はまた作ってくれるだろうか?

またトマトジュースを作るっていう作業が、祖母にとって意味のある作業になるかなぁ?









個人で完結する作業もある・・・


人を想ったり、人から必要とされることで、意味が生まれる作業もある・・・


クライエントの意味のある作業に焦点を当てて、支援をするとき


クライエント本人のみから話を聞いても


クライエントが戻る文脈における、意味のある作業を多面的に知ることは困難だ


当然クライエントの環境にも目を向ける必要がある


その環境とは、家族かもしれないし、所属する集団かもしれないし、物理的環境かもしれないし


資源かもしれないし、友達かもしれないし、僕かもしれない・・・


クライエントと作業と環境・・・その真の連関を協業の中に描くなら・・・


医療現場はあまりにも閉鎖的だ・・・


その重い扉を開けるものは・・・








~coming soon~





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