さっき某テレビ番組で、出演タレントがトマトジュースを飲んでいた。
急に祖母のトマトジュースが飲みたくなった・・・
子供のころ、夏に遊びに行くと、必ず祖母はトマトジュースを作ってくれた。
夏の冷蔵庫に、必ず麦茶が入っているのと同じくらい、毎日冷蔵庫にトマトジュースが入っていた。
幼少のころは、トマトを丸ごとミキサーにかけて作る濃厚なジュースが苦手だったけど、
小学校の頃には大好きで、毎年楽しみになっていた。
祖母も僕たちの喜ぶ顔が見たくて作ってくれてたんんだと思う・・・
そういえば、いつから飲んでないんだろう・・・
はっきり覚えてないけれど、少なくても10年は飲んでないなぁ・・・
僕が飲みたいって言ったら、祖母はまた作ってくれるだろうか?
またトマトジュースを作るっていう作業が、祖母にとって意味のある作業になるかなぁ?
個人で完結する作業もある・・・
人を想ったり、人から必要とされることで、意味が生まれる作業もある・・・
クライエントの意味のある作業に焦点を当てて、支援をするとき
クライエント本人のみから話を聞いても
クライエントが戻る文脈における、意味のある作業を多面的に知ることは困難だ
当然クライエントの環境にも目を向ける必要がある
その環境とは、家族かもしれないし、所属する集団かもしれないし、物理的環境かもしれないし
資源かもしれないし、友達かもしれないし、僕かもしれない・・・
クライエントと作業と環境・・・その真の連関を協業の中に描くなら・・・
医療現場はあまりにも閉鎖的だ・・・
その重い扉を開けるものは・・・
~coming soon~
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