今夜は野菜を沢山使った特製ビビンバとスープを作りました。料理は僕にとってとても大切な作業です。妻は8時まで仕事なので、妻が休みの日以外は、僕が夕食担当です。明日は日曜日!子供と一緒にバナナホットケーキを作る約束をしています。
僕は毎日6時半頃に病院を出ます。それから保育園に娘を迎えに行って、二人で夕食の買い物に行きます。それから帰宅し、子供と遊びながら夕食を作るのです。毎日子供の為に栄養バランスを考えて、しかもなるべく遅くならないように、妻が帰宅したらすぐに食べられるように間に合わせます。
料理という作業を、僕が持つ意味と価値の元に遂行するためには、帰り道に子供と会話したり、車を運転しながら今夜のメニューを考えるスキルが必要です。妻の帰りに合わせて温かい状態で食べ始めることが出来るように、作業をプランニングするスキルも必要です。子供と遊びながら料理をするので、同時に色々な作業を進行させるスキルも必要です。料理は役割であると同時に、僕の大切な趣味なので、限られた時間の中、色々な作業が同時進行する中で、楽しむことができるだけの心身両面のマージンが必要です。僕が料理に対するモチベーションを維持できる背景には、家族が喜んで食べてくれるという環境も大切です。時々1人で過ごす夜に僕は料理をしたことはありません。しようと思ったことすらありません。料理を楽しみながら毎日継続するために、夕食後、残された時間で、他の作業を遂行するスキルも必要になります。料理自体に必要なスキルの他にも、沢山の要素が”僕の”料理という作業を構成しています。
誰もが生活している環境が違います。立場が違います。役割が違います。だから作業が違います。たとえ作業の名前は同じでも、その作業に内包された意味や価値が違うのです。必要なバランスも違うのです。
だからOTの介入内容は非常に個別性の高い内容になってきます。片麻痺の料理練習=片手での調理動作獲得と自助具の選定・練習、火や刃物の安全な使用についての評価と練習・・・ではないのです。
何をするべきなのか?それはクライエントが知っています。クライエントしか知らないのです。いや、もしかしたら、クライエント自身もしっかりと思い出すことは簡単ではないかもしれません。
僕は親の前では息子になります。妻の前では夫になります。子供の前では父になります。クライエントの前ではOTになります。人間は自分の文脈において自分自身を常に変化させる動物です。
クライエントも、OTという存在を認識して自己を変化させています。OTがクライエントにとってどんな存在として認識されているのかどうかが重要になります。
「手を治してくれる先生」 「身体を揉んでくれる先生」 「物を作る部屋にいる先生」・・・色々な認知の元にOTを見ていることが多いのかもしれません。作業療法士である自分は何をする人なのか?これをクライエントにしっかりと示す必要があります。理解してもらえないのではないか?上手く説明できない・・・など色々と躊躇してしまう要素があると思いますが、自分は作業の専門家であるということ。意味ある作業が人を健康にすることを勇気を持ってしっかりと説明してみることからはじめてみてはどうでしょうか?
その先は・・・クライエントに聞いてみよう
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