僕は子供の頃から車が大好きです。11年前に初めて自分で買った車は、小学生の頃からずっと欲しかったGT-Rでした。とにかくスゴイ車でした。殆どチューニングもせずに、簡単に○○○キロの世界に連れて行ってくれます。ドライビングテクニックを磨きたくて、週末はいつも走っていました。
あれから10年も経ちました。勿論今も僕は車が大好きです。でももう車にお金や時間はかけません。家族用のミニバン一台と、趣味を兼ねた古い車を一台持っているだけです。
結婚をしたり、子供が産まれたり、この10年で僕の環境は大きく変化しました。その変化に伴って、僕の車に対する価値も少しずつ変化してきたのです。今も車が大好きですが、我慢しているということは全くないのです。昔の車を少しずつメンテナンスしながら乗り続けたり、レースをテレビで見たりするだけで満足なのです。
もし僕が、結婚や子供に恵まれずに、単に収入が減ったなどの理由で、車に時間やお金をかけられなくなったとしたら、沢山の未練や不満を抱えていたのかもしれません。
クライエントも同じです。作業療法士との協業の中で、多くの意味ある作業を再び取り戻したクライエントでも、いくつかの、あるいは多くの作業を諦めなければならないことは多いはずです。その時に、未練に支配された感情で新しい人生を歩いていくのか?変化した作業形態に新たな価値を見出して前を向けるのか?そこが重要です。僕は家族という大切な存在と、家族の為に行う作業の重要度が、僕を変えてくれたのだと思います。クライエントも、失った作業に未練を持たずに、新しい自分を好きになれるような、アイデンティティを構成する役割や作業を含む新しい作業バランスが必要なのです。
作業の意味・価値や重要度・優先度は,環境等によって容易に変化してしまいます。過去に意味を見出していた作業が、単に遂行可能になったからといって、健康は取り戻せるとは限りません。過去の意味ある作業を共有しながらも、今、そしてこれから、どのような意味で遂行するどんな作業に包まれながら生活していきたいのか?をクライエントと一緒に探していく、作っていく作業が必要です。意味・価値を守るためにあえて作業を変えることだって時には必要かもしれません。
過去を共有するということは、過去を取り戻すためだけではないのです。
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