先日用事があって実家の会津若松に帰りました。次の日、どうしても郷土料理の田楽が食べたくなって、老舗の田楽屋に寄ってから郡山に帰ることにしました。
囲炉裏に対面したカウンターに座り、目の前で田楽を焼いてもらいます。こんにゃく。身欠きニシン。里芋。厚揚げ豆腐。餅。しんごろう(ごはんの粗つぶしにエゴマ味噌を塗ったもの)。どれも絶品でした。丁度僕が食べ終わる頃を見計らって、囲炉裏端のおばちゃんは、次の串を僕に手渡してくれます。店は大賑わいでしたが、おばちゃんは、元気にずっと立ちっぱなしで田楽を焼いていました。
妻が娘をトイレに連れて行ったとき、何気なく僕はおばちゃんに話しかけました。
「何で座って焼かないんですか?」 僕は尋ねました。
「串が立ってるのに私がすわれないでしょう!」とおばちゃんは冗談を僕に返しました。おばちゃんは続けました。昔、腰が痛くて、少しだけ座った時があったんだけど、だめだね。炭の温度が身体で感じられなくて、焼きの頃合もイマイチわかんない。味噌を塗る時も、かえって無理して手を伸ばさなくちゃいけないしね。そのときは、焼きあがった田楽を皿に盛って、運んでもらったんだけど、食べてもらった感じもしなかったね・・・
そのクライエントの立位保持が可能となったとき、何故喜んだんですか?・・・
病前は立てたからですか?・・・
立てないよりも、立てたほうがイイからですか?・・・
立てたとき、クライエントはどんな自分の未来を見つめていましたか?・・・
クライエントの意味ある作業の実現に向けて協業しようとするとき、
当然意味ある作業の項目の共有が必要です。
その作業が何故大切なのか?、理由を共有することも必要です。
その作業が意味を持つための環境因子・条件を共有することも大切です。
その実現に向けて、機能訓練や要素的動作練習が必要ならば、
クライエント自身が意味ある作業の可能化の為にその練習を選択したかどうかが大切です。
その作業が意味を持ち続けるために必要な、他の作業を可能にすることも必要です。
おばちゃんは、炭の温度を感じるために立っていました・・・
手際よく、田楽に味噌を塗るために立っていました・・・
客に田楽を手渡すために立っていました・・・
串が立っているからずっと立っていました・・・
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