能面には約250種類の顔があるそうです。般若や翁は非常に有名です。その多様な面で、人間の様々な感情や立場を表現し、物語が演じられます。
その中でも、この小面(こおもて)は特別な面です。この面は、喜怒哀楽全ての感情を表現する面なのです。おそらくその造形も非常に熟練した技術を必要とするのでしょう。
今日入院してきた私のクライエントSさん。本人の大切な物を持参してもらうように、事前に御家族にお願いしてありました。家族から布に包まれた荷物を渡されて、ゆっくりと包みを開けると、一瞬驚いて表情が固まってしまいました。
中から出てきたのは、小面でした。その表情は、確かに見る角度によって、喜怒哀楽の全てを表しているような、複雑なそれでした。なんとSさん自身が趣味で長年彫り続けている作品の一つなのだそうです。
正直最初はSさんが彫ったものとは到底信じられませんでした。あまりにも素晴らしく、そして生きているようなその表情は、伝統工芸師の仕事を思わせる領域でした。
Sさんは現在意識レベルがⅡケタ。声掛けに対して開眼はするものの、時々追視が見られる程度の状態ですが、この小面を手渡すと、静かに長い時間角度を変えながら眺めていました。
これから私との作業療法が始まります。心と身体を共振させるような協業をぜひ行いたいものです。
クライエント達は、小面を着けながら生活しているような気がしました。それは、”患者”という役を演じるための面です。喜怒哀楽は当然表現されていても、それは素顔(直面:ひためん)ではありません。どんなに笑っていても、小面の笑顔は、患者という役の中でのみ意味を持つ笑顔なのかもしれません。
僕はクライエントに、自分の価値ある作業に気付いてほしいです。遂行できるようになってほしいです。患者という舞台で、小面の笑顔を追求するのではなく、自分という役を演じる舞台に戻るための情熱を取り戻してほしいです。小面の笑顔の下に、本当の笑顔があることに気付いてほしいです。
そのためには、どうしても作業療法が必要なのです。
追伸:
先日お伝えした、Kさんのクライエント、認知症のGさんのタイルモザイクが完成しました。春の柔らかい空気の中に佇む3羽のメジロが優しそうです。
入院当初、不穏が強く、いつも興奮していたGさん。今日は、この作品を持て余すように抱えながら、Kさんと共に病棟の中を車椅子で周って、スタッフや他のクライエントと楽しそうに作品を眺めていました。僕に写真を撮れと何度も指示し、数え切れないほど僕はシャッターを切りました。Gさんは、他のクライエントからの賞賛の中で、何度も笑っていました。何度も泣いていました。
老年期のクライエントは、アイデンティティを構成するような作業から一線を退いていることが多く、どんな作業で時間を埋めるのか?そしてその作業が、自分の所属する環境下で、そんな意味を持つのかが非常に大切です。
僕はどんな状態のクライエントでも、第4欲求である”承認欲求”までは階層の底上げが可能であると考えています。どんなクライエントでもです。
僕達作業療法士は、最もフレキシブルな環境因子たるべきなのです。
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