90歳認知症のTさん。毎日OT室でアンダリア手芸の皿作りを楽しんでいました。作った皿に手作りのお菓子を乗せて皆に振舞いたいと、先日は蒸しパン作りを行い、手作りの色とりどりの皿を楽しみながらお菓子をいただきました。昔、京都で稽古修行を経験したTさんは、作法にとてもこだわり、その立ち居振る舞いが自尊心を形成している大切なパフォーマンスであることを伺わせました。
そんなTさんの様子が昨日急に変わりました。「こんなことしても何もならない!もう作らない」との表出が聞かれました。詳しく話を聞くと、最近悪化した腰痛にかなり苦しんでいるとのことでした。
僕はこれからの作業については一切触れずに、ホットパックを施行し、腰部のマッサージや和室での動作練習のみを行いました。その後も、頻繁に部屋を来室し、声をかけました。
家族の都合で、入院期間が延長されているTさん。隣りのベッドのUさんは、毎日沢山の御見舞い客が来るのに、Tさんには殆ど来ません。反対隣のSさんは、歩行でのADLが上り調子で、単位数も増え、PT・OTの介入量が多くなっています。
そんな孤独を強く感じてしまう環境で、腰痛も悪化して・・・Tさんの欲求段階は急降下していました。そんなときは無理に作業に目を向けてもらおうとする介入は、かえって逆効果です。欲求段階の底上げが急には不可能でも、欲求段階の底上げの保障を提供することは可能です。
私達はいつもあなたのことを考えていますよ・・・あなたの苦痛を取り除こうと皆が努力していますよ・・私達はあなたの味方ですよ・・・このようなスタンスで皆が介入し、生理的欲求解決の保障や安心・所属感等が何よりも認知症のクライエントには必要です。
一時的な否定的表出に対して、執拗に傾聴し、対策を提案することは、本人の一時的感情が表出させた”語り”に、逃れられない・取り消しようの無い繋がりを作ってしまうことになります。傾聴とは非常に技術のいるテクニックです。
事実、今日のTさんは今までと何も変わらないTさんでした。楽しそうにアンダリア手芸を行い、表情は穏やかでした。介入が終了し、部屋に送っていくと、一緒に見学していた学生さんに、嬉しそうに作った皿を見せていました。
人間は自らを向上させよう・楽しもうとする生き物です。”意欲低下”などというアセスメントに介入者の誠実さは微塵もありません。”意欲が低下しているから作業導入が困難”なのではなく、意欲的になれない状態で苦しんでいるクライエントを救うことが仕事なのです。毎日アンダリアを楽しむTさん・・・僕に罵声を浴びせたTさん・・・どちらもTさんです。
高齢者は孤独です。身体に問題を抱えています。欲求段階はほんのささいな出来事で、すぐに上下してしまいます。認知症を抱え、自己統制の難しいクライエントならばなおさらです。
僕は欲求段階の最上階で待っているような作業療法士には決してならないと改めて誓いました。クライエントがどの階層でもがいているのかをいつも見つめて、どの階層にいても共に上を見上げながら横を歩ける作業療法士になりたいと思いました。
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