帰宅した直後に電話が鳴りました
鳥取の友人からでした
彼女はとても興奮していました
詳細は書けませんが
まだまだ技能の低いクライエントが
大切な作業を体験しながら
すこしずつ今後の生活への解釈が肯定的に変化し
自己効力感が高まってきたという内容でした
そしてその介入をする時
僕が昔書いた記事が介入のきっかけになったんだと…
それをとても大きな声で伝えてくれました
確かにきっかけは僕の書いた記事だったかもしれません
でも今回の介入の成功の理由は
友人とクライエントのパートナーシップにあったのだと
話を聞きながら僕は思いました
後遺障害を持つクライエントの遂行技能は
どんなに技能が向上し,努力の減少や効率化が図れたとしても
健常時の遂行技能に勝ることは困難です
大切なことは,技能の向上に並行して,
自分の変化をどう解釈できるかです
そして次の行動がどのように変化するかです
そのためには,隣にいる人間との関係性がとても大切な要素となります
信頼できるパートナーがいなければ
僅かな技能の向上は,健常時の自分との差を痛感する体験にしかならずに
余計に絶望を深めてしまうかもしれません
一緒に目標を共有し
一緒に感情を共有し
一緒に価値観を共有し
一緒に体験を共有し
一緒に結果を共有し
一緒に希望を共有できる
そんな関係があるからこそ,
僅かな自分の変化に希望を見いだし
明日の自分を楽しみに感じることができます
彼女は単に面接で聞き出した作業を提供したのではありません
クライエントの想いに日々寄り添いながら
何とかクライエントに貢献できないか
日々もがきながらクライエントと様々な感情を共有し
作業の可能化に向けた調整をしてきたのです
友人の話を聞いて
改めて作業療法士とは
最も効果的な環境因子であるべきだと感じました
素敵な声をありがとう
お久しぶりです。
返信削除「考える生き方のヒント」のいとちゅーです(^_^)。
OTジャーナル最新号に、「患者と治療者の間を生きる」という連載記事を書いた方(この方は今、僕が訪問リハビリで担当させて頂いている方でもあるのですが)が、自分が患者の立場として最も怖かったこととして、自分の意思を伝えることができなくなったことを挙げています。
何事においても、自分の意志が反映されなくなるというのは、人との繋がりを奪われるということですから、人としてこれ以上の恐怖はないように思います。
そんな中、患者と何かを共有し少しでも共に歩もうと働き掛けるOTは、仰る通り「効果的な環境因子」で、僕らがそのような存在であることができれば、患者さんにとってそれは生きる希望の切っ掛け作りに成り得るのではないかと思います。
それができたとき、患者さんと出会えたことに対して、初めて心よりありがとうと言えるのではないでしょうか。最近は、そんなふうに感じています。
きっと、saitoさんのこのご友人も、saitoさんと同じ思いなのでしょう。素敵なOTさんだと感じました。
いつの日か、この患者さんに対して、心から感謝の気持ちを伝えられる日が来るといいですね。
いとちゅーさん.ご無沙汰しております.
返信削除患者さんが最も怖かったことは,自分の意志を伝えることができなくなったこと…
なるほど,本質をついたご意見ですね.
父権的な立場で患者さんに関わっていると,
自分でも気づかないうちに,患者さんの声を奪ってしまうこともあるかもしれません.
いとちゅーさんのコメントを拝見して,
鈴木明子先生が,「作業療法士とは,患者さんの話しを聞く人」とおっしゃっていたのを思い出しました.
改めてとんでもなく深い言葉だと思いました.
いつも隣を歩いている患者さんに感謝ですね.