20111223

作業遂行と意思決定と恊働者

クライエントの主体性と,作業療法士の専門性を
統合して完成する契約は,当然作業療法士と
クライエントの理想的な契約の形だ.

また,契約は主体性の始まりであると同時に,
意思を暫定保留できるという効果があると思う.

目標に向かう強い意思をまだ持ち得ていないとしても,
理知的な判断や理解を土台とする契約は,
義務的な要素に引っ張られて,主体性が賦活するまでの
行動を組織化できる.

しかし,認知症や失語症に代表される,
意思疎通が困難なクライエントは,
上記のどちらの契約形態も不可能な場合も多い.

そのような場合,作業療法士の関心は
環境因子に占める割合が大きくなると思う.
まぁ環境因子は作業療法士である以上,
考えないときはないけど…

理知的な判断や,ナラティブとしての組織化が
当てにならない状態で,大切な要素はやはり環境だと思う.

作業療法士は,最も柔軟な環境因子であるべきだ.

時には,生理的欲求を解決してくれる環境になることが
優先度の高い介入戦略かもしれない.

時には,馴染みのある作業を遂行する人たちとの
交流を設定することかもしれない.

時には,同じ疾患を呈しながらも,作業の可能化を
実践するクライエントが近くにいる状況を設定することかもしれない.

クライエントの過去の作業遂行文脈を知り,その文脈を考慮した
作業を提供することかもしれない.

過去の作業遂行文脈を知らなければ,どんな環境がクライエントに
適しているのかを判断できないかも知れない.

接遇や丁寧さで補完する習慣は,
大きな問題を生じさせないが故に
非効果的な自己に気づけないかもしれない.

クライエントの行動や表情を見ていると,
人間の作業遂行がPEOの連関であるということが
とてもよく分かる.

僕たちは皆,めまぐるしく変化する環境に対して.
自己を,また環境を変化させながら適応を維持し,
発展的な自己を構築している.

しかし多くの,特に契約を結べないクライエントは,
環境に自己を適応させることも,環境を自己に適応させることも
困難を極める場合が多い.

作業遂行が,PEOの連関であるならば,
環境に不適応な状態で提供される作業は動作だと思う.

それがイメージ先行の大義名分で保証された
「訓練」という名の下に提供され続ける.

「意味のある作業」とは,昔行っていた活動とは限らない.
でも昔行っていた作業なのかもしれない.

表面的に共有された作業を媒介にする契約は,
クライエントと作業療法士に強い絆と適応に向かう
意思を与えないかもしれない.

理解地平の確立にあるように,もはやお互いの地平に
留まっていられないような共有体験からshareした
物語や価値観は,自然に意味のある作業を二人に教えてくれるかもしれない.

作業遂行がPEOの連関であるならば,
意味のある作業の共有は,PEO全ての側面の共有が大切.

そこに関心を持っていれば,契約の重要度は下がるのかもしれない.
でも,そこに関心を持ちながらも,しっかりと契約を結ぶことが
可能ならば,それは非常に強い力を持つと思う.

作業療法士にとっても,クライエントにとっても.

ADOCは,様々な因子のせいで契約を結ぶことが困難な
クライエントに対しても有効かもしれない.

また,形式上の契約を結ぶ能力を有しているクライエントとの
恊働に対しても,より効果的な契約が可能かもしれない.

意思決定を共有するということは,
恊働者が互いに主体性をもちながら,そしてお互いの強みを
開示しながら効果的な関係を築けるということ.

説明と同意などといった形式上の契約ではなく.
真の意思決定の共有は,クライエントが自分の現実を組織化し,
道しるべを与えてくれる.そしてその道程には,隣に作業療法士が
いるという認識も与えてくれる.

ADOCは特別なマニュアルや理論を必要としていない.でも
人間が作業をすることとはどういうことなのか?そこは必ず
考えてほしい.

よく面接のコツを聞かれることがある.(うまくないけど)
作業遂行とは?その答えを探求することと,自分が絶望するクライエントの
間の前にいる一番近くの環境であることを知ればいいと思う.

だから面接は特殊な技術ではないと思う.
良い実践をする作業療法士は,面接技能も高いと思う.
面接技能が高い作業療法士は,実践力も高いんだと思う.

今,様々な取り組みが行われていて,面接や契約を行う作業療法士が
増えていると思う.

今大切なことは,形骸化しないこと.

大切なものを大切にすること.



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