「臨機応変」と「何でもあり」は違う.
その違いは目的の明確化だと思う.
臨機応変とは,目的を達成するために
柔軟な視点や手段の採用を制限しないこと.
決して「何でもあり」なわけではない.
その柔軟な選択の妥当性を担保するために
理論は存在するのかもしれない.
理論の存在によって多様性が構造化されるならば,
その臨機応変さは当然持ちうるべき選択肢なんだとも思う.
でも目の前のクライエントのことを知らなければ
理論を知っていても使う術がないと思う.
クライエントを知るということは
「意味のある作業」を知ることだけでは足りない.
その作業にはどんな意味があるのか?
その意味を守るためには何が必要なのか?
他にどんな作業が必要なのか?
どんな環境が必要なのか?
今足りないものは何なのか?
それらを明確化していくためには
クライエントの作業遂行文脈を確立したい.
過去と現在の作業バランスを比較したい.
クロスインパクトマトリックスも一つの指標になるかもしれない.
マズローの欲求段階が介入順序の決定に役立つかもしれない.
フロー理論が難易度の段階付けに有効かもしれない……etc
色々な要素が必要だと思う.
複雑系である人間を狭い視野で捉えようとするから
セラピストの心の中でバリアンスが発生するんだと思う.
複雑なものを複雑な視野で捉えればそれは結果的にシンプル.
「意味のある作業」と名付けられた項目だけが焦点化されて,
クライエントのダイナミクスが置き去りにされるような実践だけはしたくない…
僕は作業療法は曖昧だなんて思っていない…
僕は作業療法が何でもありなんて思っていない…
もっと知るべきことがあるだけ…
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