ナラティブは現実を組織化する
とめどなく流れる時間の中で起こりうる様々な出来事を人は語り
語りから物語が生まれ、書き換えられた物語は再び新しい語りを生み出す
その連続性の中で、人は自分の感情や出来事を解釈し
折り合いをつけながら毎日を営み続ける
同じような出来事・経験でも、その語りと物語の連続性は人によって様々だ
あらゆる経験を自分の糧とし
自ら前進するための一助とできる物語を紡ぐ人もいれば
自分で生み出した語りに縛られ自分の作り出した物語に苦しみ続ける人もいる・・・
先日ある失語症クライエントの母親が亡くなった
彼は一週間の外泊の後、入院生活の場へと戻ってきた
彼は気丈に振舞っていたが、僕は彼の物語が気になって仕方なかった・・・
失語症の彼はどんな語りで母親の死を解釈したのだろう・・・
彼は語りで母親の死に折り合いをつけられるのだろうか?
悲しみや感謝や納得や決意の感情は内的にも言語化されたのだろうか・・・
その語りから前を向く物語は生まれたのだろうか・・・
昔の人は必ず葬儀を自宅で行った
今のように葬儀屋のようなビジネスが無かったことも理由だが
自宅で葬儀を行う理由は他にたくさんあった・・・
家族は接客や食べ物・飲み物の世話で一日中走り回った
来客は朝から酒を飲んでは故人の思い出を語った
その空間と時間の中で
忙しさの中で悲しみにだけ向き合うことを免除され
故人がどれだけ慕われ愛されていたかを家族は再確認した・・・
初七日・四十九日・法事などの行事や天国の概念も同様に
残された人達が前向きな物語を構築するために生まれたものだ・・・
感情はあまりにも混沌としていて・・・
あまりに重くてあまりに不安で・・・
そのままの形で連れ添うことは苦しすぎる・・・
どうか・・・
いつの日か激流のような感情が清しい語りに形を変え
再び前を向く物語の一項となるように・・・
失語症や認知症の方が、どうその物語を作っているのか、私達が少しでも肯定的な物語の一助になれているのか、いつも悩みます。
返信削除今日はありがとうございました。
kibiさん こちらこそ有難うございました。
返信削除昔、一緒にナラティブアプローチの勉強をしたときの
ことを思い出しました。
みんなで勉強していきましょうね。
これからもよろしくお願いします。