衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり
大切なことを思い出した・・・
お久しぶりです。探していたものは身近にあったということでしょうかなんだか読んでると心が落ち着きます。yasu
返信削除yasuさん 御無沙汰しております。
返信削除コメントありがとうございます。
最近職場で問題が発生したときに、
あまりにも許しがたい内容であったため、
我を忘れてしまうことがありました。
座禅の会でいつも唱えていたこの詩を思い出し、
冷静さを取り戻すことができました。
無動はかなり苦手でしたが、あの最後の時間はとても好きでした。夢中になれるというか、なんかすごくいい時間でした。また行きましょう!
返信削除そうですね!動かず、何も考えずに過ごす時間ってすごく難しくて、最後のほうにやっと何かが分かり始めたと思ったら終了!みたいな感じなんですよね。でも確かにあの時間はすごく貴重ですね。玄侑宗久さんのお話が生で聞けることも貴重ですしね!また都合がつくときに参加しましょう。
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