20110914

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として  うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく  四智円明の月さえん
この時何をか求むべき  寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国  この身即ち仏なり 








大切なことを思い出した・・・


4 件のコメント:

  1. お久しぶりです。探していたものは身近にあったということでしょうかなんだか読んでると心が落ち着きます。yasu

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  2. yasuさん 御無沙汰しております。
    コメントありがとうございます。

    最近職場で問題が発生したときに、
    あまりにも許しがたい内容であったため、
    我を忘れてしまうことがありました。
    座禅の会でいつも唱えていたこの詩を思い出し、
    冷静さを取り戻すことができました。

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  3. 無動はかなり苦手でしたが、あの最後の時間はとても好きでした。夢中になれるというか、なんかすごくいい時間でした。また行きましょう!

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  4. そうですね!動かず、何も考えずに過ごす時間ってすごく難しくて、最後のほうにやっと何かが分かり始めたと思ったら終了!みたいな感じなんですよね。でも確かにあの時間はすごく貴重ですね。玄侑宗久さんのお話が生で聞けることも貴重ですしね!また都合がつくときに参加しましょう。

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