「どうしてこの人はお箸の練習をしていると思う?」
作業療法室を案内しながら,あるクライエントの前で立ち止まって,
突然その人は僕に質問した.
僕は一瞬言葉に詰まった.
「手指の巧緻性とか,手と目の協調とか…」
僕が取り繕うようにありきたりな言葉を並べようとすると,
その人は僕の言葉を遮るように言った.
「それはね,お箸で食べたいからだよ」
13年前,就職先を探して,見学をしていた時のことだった.
僕はその瞬間,この人に魅せられて,
その後予定していた別の病院の見学を全てキャンセルした.
「ここで働こう」一瞬で決断した.
その人は,僕が就職した当時の所属長,免許番号が二桁の人だった.
日本の作業療法の初期から作業療法を模索し,作り上げたひとりだった.
体系的に作業療法の構造を説明する人ではなかったけれど,
いつも作業療法は「心だよ」と言っていた.
最初は,その意味がよく理解できなかったけど.
今はその意味がとてもよくわかる.
その人は,今はとっくに退職していて.
僕は去年,数年ぶりにお酒を飲む機会があったんだけど.
その時に改めてどうしても聞いてみたいことがあって質問した.
「作業療法って何ですか」
昔は理解できなかったけれど,今聞けば理解できる言葉があるかもしれない.
そんな思いで質問した.
「心だよ」 その人の答えは昔と一言も変わらなかった.
いつも僕の心を動かしてくれた.
答えが鮮明にみえはしないけれど,
いつも先にある素晴らしい世界を予感させてくれた.
あの人のようになりたいといつも思っていた…
そのひとは,外来の患者さんがくると,
いつもコーヒーを入れて,長話をしていた.
患者さんは,まるでビタミン剤を投与されたかのように,
イキイキした表情で作業療法室を後にした.
そのセラピーに漠然と憧れていたけれど,
何をどう真似すれば良いか,そのときはよくわからなかった.
僕は…
まるで小さい子供が,憧れのヒーローになりきって公園で遊ぶように,
あの人への憧れを背負って臨床をしていたんだ.
あのひとのようになりたくて…
いつもあの人の言葉の意味を考えていた.
僕が動機付けられて,心を動かされて,
自然に勉強しようという気持ちになって,
答えに自分で辿りつけて…
あの人は僕に作業療法をしてくれたんだ.
僕の大切な作業である作業療法を
僕がもっと大切に思えるように…
「恋をすると,河原の石ころも宝石に見えるでしょう」
「患者さんにはそんなふうになってほしいのよね」
こんばんは。いとちゅーです(^_^)。
返信削除saitoさんは、とても素晴らしい人に巡り合えていたんですね。
「お箸で食べたいからお箸の練習をする。」
そんな当たり前のことを教えるのに感動を与えられるこの方は、
作業療法が体系化される前に、発見や共有の驚きや感動を、
何よりも深く心得ていた方であるように思います。
僕らは、ともすると実証主義の自惚れから、
出来上がった手段だけを取り入れようと躍起になってしまうけど、
それだけでは、この方たちの背中さえも追うことができないのではないのかと、最近は考えてしまいます。
人やものに直に接する謙虚な姿勢から得られるものは深く、
それは科学的知見よりも先んじてあるという事実を、
いつの時代においても、僕ら作業療法士は大事にしていきたいし、
そこから得られる知を、少しでも普遍的なものへと近づけられるように、これを育んでいきたいものですね(^_^)。
いとちゅーさん.ありがとうございます.
返信削除ご意見に心から同意です.
専門職として生き残るために,先人達は歴史の中で様々な事柄を体系化しようとしてきました.
しかしながら,その背景には,簡単には体系化できない,数えきれない体験やそれに伴う思考の抽象化の結果
出来上がった感覚や形があったはずです.
そのプロセスを踏まえたからこそ,先人達は,体系化された作業療法をも大切にあつかうことができた.そう思うわけです.
体系化という作業は,ともすると大切な「過程」をショートカットして,答えのみを提示するような,
ある意味で誤解を招く手段にもなりかねないと常に感じています.
私たちに必要なことは,体系化されたものを伝える際に,どこまでも体験と心の動きを踏まえた
伝達の仕方を心がけるということでしょうか…
体系化されるという進化が,結果的に退化を招かないように,
自分の在り方を考えたいと思っています.
いつも気づきをありがとうございます.
またご指導お願い致します.