僕がこの舞台に立つ意味はなんだろう…
ずっと考えていた.
特別な技術を持っているわけでもなく,
特別な経歴を持っているわけでもない.
僕に伝えられる,僕だから伝えられることはなんだろう…
すぐには答えが出なかった.
決して変えられないと思ったあの日と変えられるんだという体験を伴う実感.
その両方を知っていること…
それしかないと思った.
作業療法の実践家たちは昔から,作業は人間の営みそのものであり,
健康を育むものだという素朴な信念を公理に見立てて,障害者や弱者への
介入を行なってきた.しかし専門職という名の職業的生命を保つためには
それが医療の一部だと宣言する必要があった.だが医療の一隅に身を置いてみると
作業療法が,医療を率いる医学とは別の質を帯びていることに気づかないわけには
いかなかった.(鎌倉矩子:作業療法の世界より抜粋)
おそらく,あの日参加していた多くの作業療法士たちは,
この「別の質」とその他の医療との緊張を解くことができずに
苦しんでいるのではないかと思った.
実際に僕自身がそうだったから…
だから僕の道程を話そうと思った.
僕が「別の質」に胸を張ってクライエントに向き合うためにしてきたことを
話そうと思った.明日から実践できる極めて具体的な手段を話そうと思った.
他人の言葉ではなく,自らの苦悩や気づきによって「別の質」に気づいたことは,
確実に入り口に立ったことを意味していると思う.
でもそのドアは思ったよりも重い.
ドアを見つけたこと自体に興奮して,しばらくは過ごせるかもしれない.
でもそのドアは開けるためにあって,ドアの向こうにクライエントの利益が
存在しているという事実に気づかない人はいない.
「別の質」はあまりにもその他の世界からは異質で理解し難い性質を帯びていて.
「信念」と「異質であるという現実」の狭間で多くの作業療法士は苦しんでいる.
僕自身が,そして僕の後輩達が悩んだことの筆頭を3つだけ話した.
面接について,臨床家としての自信について,他職種理解についての3つ.
たった1つでも参加してくれた皆さんの臨床を変えるきっかけになったのならば
こんなに嬉しいことはないと思う.
僕は演者の1人だったけれど,友利さん,上江洲さん,澤田さん,竹林さんのプレゼンを
観客の1人として満喫させてもらった.
もっと効果的な人間になりたい.心からそう思える時間だった.
実践の質を高めるために,もっとみんなと繋がりたい.研鑽し合いたい.
それが作業療法士が作業療法を楽しむ最も効果的な手段だと思う.
私は,大理論としての(つまり設計図としての)作業療法モデル論はもう出尽くした
のではないかと思う.それは歴史的に必要なものではあったが,流れはもはや定まった
とみえる.作業療法にとっての次に課題は実践理論もしくは実践技術の充実だ,
というのが私自身の考えである.(鎌倉矩子:作業療法の世界より一部抜粋)
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