今日は震災でムチャクチャに崩れてしまった押入れの中の本や昔の資料を整理していました。
しばらく作業を進めていると、懐かしいものが出てきました。
13年前の僕・・・学生時代の実習レポートでした。
当時、いかに自分がパターナリズム一辺倒だったかを改めて実感しました。昔を思い出しながら、しばらくレポートを眺めていましたが、思いがけない時間になりました。
あるレポートを手に取った時です。それは急性期病院に実習に行った時のレポートでした。その時のことは、今でもはっきりと覚えています。僕は・・・その時の僕は、その実習地のスーパーバイザーの考え方がどうしても納得いかなかったのです・・・
でも・・・そのバイザーが赤ペンで書き込んだコメントは、今の僕にそっくりでした・・・クライエントの主観に寄り添うことを強調し、その人固有の作業に焦点を当てて、自分で自分の人生に対して前を向けるような状態を目指して様々な作業的視点での介入を行う・・・僕がそのような視点を持てるように、易しく丁寧な言葉で、沢山のコメントが綴られていました・・・
今なら、あの先生の話が分かるような気がする・・・
今なら、あの日、先生がクライエントと行っていた作業の理由が分かるような気がする・・・
そんなことを考えながらレポートを熟読していたら娘に早く片付けろと怒られました・・・
人間は、今持っている知識で、全ての物事を説明付けようとします。しかし殆どの場合、他の角度からの考え方や洞察の仕方が存在します。世の中のあらゆる知識を身につけることは当然不可能ですが、自分の考えに原理的にならずに、「もっと別の考え方があるのかもしれない」と思える状態に自分を置くことは可能です。自分の道程と、その結果導いた答えや考えに自信を持つことも当然大切です。一見矛盾しているような、両面を持っていることが大切なんだと思います。
作業療法においても同じです。経験を重ねると、どうしても自分の中で介入方法が固定化されてくることってあると思います。もちろん経験から身につけた自分なりの技も大切です。でも、その介入にもっと良い他の選択肢はないのか?その視点を持ち続けることは非常に大切です。
問題が無いということと、悩まなくなったということは同じではないのです。
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