20121217

研ぎ澄ます主体〜12月16日 in 社医学 〜






最初はすごく難しい言葉を並べたスライドを作ったんだけど,
結局ぜんぶ作りなおした.

何を伝えるかをずっと悩んでいた.

専門用語はテキストに並んでいるし,
先人達の言葉は論文の中に散りばめられている.

既に動機付けられた人たちは,自分の力で進んでいけることを体験を通して知っていたし,
迷う人達が一歩を踏み出せない苦労もまた,体験を通して知っていた.

僕の仕事は迷う人達の心を,ほんの少しでも動かすこと.
それしかないと思った.それしか出来ないと思った.

だから,最初のスライドは全て捨てた.
僕の実践をそのまま見てもらうことにした.

その実践を難しい言葉で説明することもやめた.
僕がその実践を行った理由を感じてもらおうと思った.

参加した人たちは気づいたと思うけど,
今回のプレゼンの順番は,逆方向だった.

実践を紹介して,その実践をした理由を語るのではなくて,
僕の心を動かした作業科学の論文との出会いを紹介して,
その後で,ただシンプルに事例報告をした.

正直すごく怖かった.

専門用語を並べた方がずっと楽だった.

でも実践を難しい言葉で飾るよりも,

作業科学を勉強して,心が動いた僕が,
どんな作業療法をしているのかをそのまま見てほしかった.

理論は自分を正当化したり,自分を武装したりするためにあるのではなくて,

理論は自分の感情や思考や行動の精度を研ぎすますものだと思う.

だから,心の底からクライエントに寄り添い,

共創しようとする作業療法士だけが,
研ぎ澄ます主体を持っている.

どんなに沢山の理論を勉強しても,

どんなに沢山の手技を身に着けても,

クライエントの人生を魂全てで支えようとする姿勢がなければ,

おそらく理論は自分の鎧にしかならないと思う.

あの日紹介した僕の実践は,すごく大胆に写ったかもしれないけど,

実践の内容ではなくて,なぜ僕がその介入をしたのかを考えてほしい.

クライエントが病前していた作業だから…そんな理由で僕はあんな介入はしない.

クライエントの「地平」に自らの「地平」を寄せて,お互いの地平の境目さえも
区別できないほどに想いを重ねたから,あの手段を採用した.
そのプロセスを感じてほしい.

共通の理解地平の確立を目指そうといつも寄り添うことに全神経を研ぎ澄ますのは,

クラークの論文との出会いがあったからだし,クラークの論文に出会えたのは,
仲間と一緒にもがいて勉強した日々があったからだ.









あの日の最後は,connecting dots の話で締めたけど,
本当に振り返った時に初めて気付くことが沢山ある.

今日勉強したことが,いつ,どのように役に立つかはわからないかもしれない.


でもクライエントの幸せを心の底から願い寄り添う人達の日々の「点」は,

いつか必ず線になってクライエントの幸せに繋がる.そう信じることが大切.

作業療法に悩み,作業科学を学ぼうとする皆さんに,僕は何も答えを示さなかったけど,

僕の話が,ほんの少しでも日々の「点」を重ねようとする動機になってくれれば嬉しい.






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