20120824

渺渺とした


何気なく本棚を眺めたら.
Steps to FollowやRight in the Middleがボロボロだった.
臨床1~2年目の時の記憶が蘇った…

痴呆性老人のユースフルアクティビティがボロボロだった.
老健勤務時代に無我夢中で読んだ…

若い頃はいつも何かに夢中で思考は常に偏っていた,と今は思う.

色々なことに没頭して,
色々なことに偏って,
いびつな形が少しずつ円に近づいたから,
自分の変遷には後悔していない.

でも,没頭は楽しかったけれど,
いつも悶々としていたのも事実.
「作業療法とは」の答えは出なかった.
答えを出す必要があるのか?
そんな問いが何度も頭をよぎったけど,
いつか答えが出るかもしれない…
そんな漠然とした感覚は楽しかった.






日本の作業療法の定義を何度読んでも納得いかない自分がいた.
AOTAの定義に初めて出会った時は,心が震えて嬉しかったのを鮮明に覚えている.

自分がどうして「作業療法とは」を問い続けていたのか?
どうしていつも悶々とした気持ちから抜け出せなかったのか?

介入に作業を用いないことがあること.
作業という概念自体の理解が足りないこと.
介入手段が柔軟すぎること.
考えていることと,作業療法士以外に向けて発信する内容にズレがあること.
クライエントは作業に焦点を当てた介入を求めていないと感じる体験.
複数の領域を網羅する作業療法の,その全てを包む概念を言語化できなかったこと.

色々な理由があったと思う.








目的作業,手段的作業,実存的作業,この全てが作業療法士の扱う作業だという…

言い換えれば,
作業が「できること」
作業を「治療に用いること」
作業を「すること」

目的,手段,実存という言葉を使っているけれど,
この3つはすべて「手段」だと思う.

それはクライエントが「作業的存在としての健康」を獲得するために,
「したい」「する必要がある」「することを期待される」作業で時間と空間を占領し,
より良く生きようと思える状態を取り戻すための手段.






~作業ができること~
それを実現するためには,柔軟な介入が必要だと思う.
機能訓練,動作練習,代償手段の獲得,環境調整・・・
医療機関に所属する作業療法士が多い日本ならば選択肢も多用であるべきだと思う.

~作業を治療に用いること~
これは日本の作業療法の源流でもある.
初期から現在まで,数えきれないほどの選択肢がある.使い方を誤らなければ
効果的な諸機能の回復を促進でき,
それは結果的にクライエントの健康に繋げることができると思う.

~作業をすること~
入院や入所による環境の変化や,疾病や障害により本来の「健康」を構成していた
文脈からかけ離れたクライエントの,時間と空間をどんな作業で埋めるかは
とても大切な関心だと思う.

これら全てがクライエントの健康を支援するために作業療法士が用いる手段ならば,
作業療法士が用いることのできる具体的介入手段は,
倫理的に耐える範囲において無限であるといえる.

でも全ての人にとって意味がなくても,目の前のクライエントにとって意味があり,
それがクライエントの健康に寄与することに疑問がなければ,
その作業には介入する価値があると表明することができる作業療法は,
目的と手段の妥当性を明らかにすることが何よりも重要だと思う.








最上位階層の目標は,作業的存在としての健康であり,
その獲得のために,作業の力に関心を持ち,作業の力を用いること.

作業の力は,「作業ができること」「作業を治療に用いること」「作業をすること」
などの方法によって発揮されるべきであり,その実践は柔軟さを許容すること.

介入は柔軟さを認める代わりに目的と手段を明確にすること.

作業的存在としての健康とは,あくまでもクライエントの主体的な作業遂行や
習慣の集合として成立する経過であり状態であるため,目的と手段の決定に関する
意思決定に,効果的であると認められる限りクライエントの参加を促すこと.

これらの要素を踏まえれば,おそらく領域や信念間の親和性を高めながらも,
アイデンティティの危機を免れることができるような気がする.



未完



5 件のコメント:

  1. 齋藤先生、先日はありがとうございました!

    目的作業、手段的作業、実存的作業、そのすべてが作業的存在としての健康を得るための手段であるという考え

    健康を得るためにOTが介入できる手段の柔軟性と、目的と手段の妥当性を示すことの重要性

    この先、臨床で迷ったき(迷わないよう…)いつでも意識していきたいと思いました。

    ブログ更新楽しみにしてます!

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  2. 平野さん.先日は見学に来てくださってありがとうございました.
    ウチの作業療法はいかがだったでしょうか?
    まだまだ僕達も未熟であり,あまり参考になることはなかったかもしれません.
    平野さんはまだ二年目ですよね?
    二年目とは思えないくらい,考え方がしっかりしていて関心しました.
    今後もぜひ楽しく成長していってください.
    お話しされていた事例発表も,成功を祈っています.
    良いメッセージが発信できるといいですね.
    この記事は,平野さんのために書きました.
    何か心の整理になれば幸いです.
    またいつでも遊びにきてください.

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  3. 初めて投稿します。
    侍OTさんのADOCの面接場面を見学させていただいた者です。

    いつも刺激をもらっています。
    ありがとうございます。

    今回の「作業」に関わること。
    そうなんですね。
    私自身の頑張っている方向は、客観的に見れば侍OTさんとは違うように見えそうですが、
    クライアントさんがハッピーになってるかどうかの視点で行けば同じような気がします。
    そのためには、当然ながら作業ががっちり絡んできます。
    OTがPTとの違いを表現をするための「作業」ではなくて、
    そんなことは関係なく「作業」そのものに人を変えられる力があるということを感じます。

    今回のテーマは自分の中でも、かなり心に響くものでした。
    またお会いできる日を楽しみしています。

    明日の勉強会は地元の勉強会のため、欠席ですが、またお邪魔したいと思います。
    その時はよろしくお願いします。

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  4. ひろ様
    コメントありがとうございます.
    また,先日は病院見学に来ていただき,ありがとうございました.
    作業療法士が機能訓練を行うことを否定する意見を聴くことがあります.
    確かに海外の理論などを紐解くと,同様の記述が見られることがあります.
    でも,統一すべきは手段よりも,関心や目的だと思っています.
    ですから,確かにひろ様がおっしゃるように,僕とひろ様の方向性は
    客観的には異なるように見えるかもしれませんが,僕はとても親和性を感じています.
    ひろ様のように,自分の信じる手段を介入の軸にしながら,クライエントの健康を支援している
    作業療法士を心から尊敬しています.僕は得意な技術,特にないですから(^^:
    ぜひまたご一緒させてください.
    今後ともよろしくお願いいたします.

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  5. 侍OT様
    私もクライエントのことを心底考え、捉えようとし、実際に何か実践している侍OTさんのことを尊敬しています。
    だからこそ、自分のやっているコンセプトに真っ当に向かわなきゃと思っています。
    本当に、勉強させてもらっています。
    こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。

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