そのクライエントは悩んでいました.
自分の大切な作業を遂行することに自信がもてませんでした.
遂行できる技能をもっているのかもわかりませんでした.
その作業を大切だという気持ちは確かにありました.
でも矛盾しているようですが,
その作業の可能化に向けて挑戦する意思はもっていませんでした.
どうしたらよいかわかりませんでした.
ただ時間が流れました.
周りのクライエントが可能化を体験し,自信の表情を浮かべる様子が,
彼の意思をさらに剥奪しました.
ある日のこと,
ほんの些細な作業の可能化を体験しました.
周囲から見ればなんて事のない作業です.
でも彼の何かが変わりました.
彼はもう1つ些細な作業に挑戦しました.
少し苦労したけれど,なんとか遂行することができました.
背中に背負った重荷が,ひとつずつ軽くなる感覚を味わいました.
自分の希望を表明してみました.
今までは言葉にすることができませんでした.
言葉にしようと思わなかったし,
言葉にするだけで大変なエネルギーが必要だったからです.
表明は彼に力を与えました.
周囲が彼の希望を知ったことは,
彼の希望を実現するための資源になりました.
可能化に向けて彼の隣を歩く人ができました.
正確には,となりを歩く人がいる事実に気がつきました.
その人は彼が想像していなかったアイデアをくれました.
その人は決して何かを押し付けませんでした.
でも彼を孤独にもしませんでした.
いつも彼の価値観や信念を知ろうとしました.
いつも必要な知識や解釈を与えてくれました.
その人は彼を認めてくれました.
ただ昨日の彼と今日の彼の違いを賞賛するのではなく,
彼の価値観や信念や周囲の期待や希望をすべて知り尽くした上で,
彼自身が感じた変化を決して見逃しませんでした.
その人の賞賛は彼に前を向く意思をくれました.
でも彼は環境の変化に敏感でした.
昨日築き上げた自信は,
今日の些細な景色の前に無力でした.
でも悲観的な思考はいつの間にか彼をそれほど苦しめなくなりました.
悲観的な思考や非現実的な希望が消失したわけではありませんが,
それに変わるほどの事実と感情が彼を支配するようになりました.
体験と解釈の記憶と,統制できる自分と環境との関係が
いつも彼を支えてくれました.
今彼を支配している感覚は,
動けるという感覚とは違う感覚でした.
動けるという感覚が,全てを取り戻すただ1つの答えだと思っていました.
でも今彼を支配している感覚は,
挑戦や希望や安寧や楽しさや落胆や責任や自動的であるという感覚でした.
決して肯定的な感覚ばかりではありませんが,
その全てが決して1人で成立する感覚ではなく,
作業を通して環境と結びつく結果生まれる感覚でした.
彼は生きる権利を取り戻したように感じました.
ある部分で具体的な,またある部分では漠然とした不安がありました.
でも色々な不安はずっと昔からあったじゃないかとも思いました.
解決したり,回避したり,考え方を変えたりしながら生きてきたことを思い出しました.
これからもたくさんの不安が生じるけれど,
解決できるかもしれない感覚がありました.
彼は自分の人生を大切にしようと思いました.
作業療法士が関心を持つべきことは,
A地点とB地点の差ではなくて,
A地点からB地点に向かう道程です.
A地点の苦しみは,
道程に寄り添おうとする者だけが共感できます.
B地点の景色は,
道程に寄り添った者のみが見える景色です.
B地点の意味は,
道程を共にした二人だけがシンクロできる感覚です.
作業選択意思決定ソフト